「周りの人に助けを求めてください。」
と言ってほしいのです。
僕が今日言いたいことはこのことです。
僕は
1、いじめられていた
2、友達はひとりもいなかった
3、家族からも嫌われていた
なんとかこの状況から逃れたいと何度も何度も思いました。
でも、どうしようもできなかった。
もがけば、もがくほど泥沼にはまっていった僕です。
そのうちに、助けてほしいというその思いもなくなった。
一転して、「何もかもめちゃくちゃにしてやる」という思いに支配されました。
そして、暴れたり、物を壊したり、人の物を盗ったりした。
ますます、悪くなる一方の僕でした。
父が僕を病院に連れて行きました。
病院の先生はとても優しかったです。
今でもよく覚えていますよ、出会った先生たちのことを。
看護師さんたちも優しかったな。
でも病院でもうまくいかなかったんです。
それで、宗教団体やNPO法人にも行きました。
でも、どこもダメでした。
そこがダメというのではなく、僕には合わなかったということだと思います。
そして、もう一度病院に戻りましたが、やはりダメでした。
病院から、サポートセンター名古屋を紹介されました。
しかし、その時点で、すでに僕はもうやる気を何もかもなくしていました。
支援者という人たちを信じることをやめました。
だから、父がサポートセンターに支援を依頼しても、スタッフの人たちと合わなかったし、はがきが来てもいつも見ていませんでした。
繋がるまでに半年かかりました。
繋がっても、信頼を持てるまで1年はかかったかな。
毎日、家で暴れていました。
自分でも、きっと頭がいかれてしまったんだと思っていました。
だったら、いっそ、警察官が銃で僕を撃ち殺してくれないかと願いました。
生きていても希望はなかったから。
毎朝、目が覚めても、いじめられたこと。
のけ者にされた自分には、一人も友達がいないこと。
勉強がまったくわからないまま、1日学校に居続けたこと。
そんなことがこれでもか、これでもかと頭の中に出てきて、気が狂いそうだった。
それなのに母は、「◯❌▲◇💀💣」で向かってきましたので、火に油を注いでしまい。
大爆発ですわ。
ドッカーン !!
あれから、10年近くが経った今。
僕は毎日が楽しいです。
朝、目覚めると、「腹がへった。」と強く感じ、朝食が待ち遠しいです。
「今日のメニューはなんですか。」と待ち切れずに聞いてしまう僕です。
朝食までの時間、家の外に出て、散歩をします。
おひさまの光。
頬を撫でる風。
目の前を飛び交う蝶々たち。
そのことだけで、涙が出てしまいます。
生かされている自分を感じます。
また、活かされている自分でもあります。
周りの人たちに助けられて10数年。
今の僕があるのはそのおかげなのです。
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