発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

周りの人に助けを求めてください。 ヒロ

 

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「周りの人に助けを求めてください。」

 

 

と言ってほしいのです。

 

 

僕が今日言いたいことはこのことです。

 

 

僕は

 

1、いじめられていた

2、友達はひとりもいなかった

3、家族からも嫌われていた

 

 

なんとかこの状況から逃れたいと何度も何度も思いました。

でも、どうしようもできなかった。

 

 

もがけば、もがくほど泥沼にはまっていった僕です。

そのうちに、助けてほしいというその思いもなくなった。

 

 

一転して、「何もかもめちゃくちゃにしてやる」という思いに支配されました。

そして、暴れたり、物を壊したり、人の物を盗ったりした。

 

 

ますます、悪くなる一方の僕でした。

父が僕を病院に連れて行きました。

病院の先生はとても優しかったです。

 

 

今でもよく覚えていますよ、出会った先生たちのことを。

看護師さんたちも優しかったな。

 

 

でも病院でもうまくいかなかったんです。

それで、宗教団体やNPO法人にも行きました。

でも、どこもダメでした。

 

 

そこがダメというのではなく、僕には合わなかったということだと思います。

そして、もう一度病院に戻りましたが、やはりダメでした。

 

 

病院から、サポートセンター名古屋を紹介されました。

しかし、その時点で、すでに僕はもうやる気を何もかもなくしていました。

支援者という人たちを信じることをやめました。

 

 

だから、父がサポートセンターに支援を依頼しても、スタッフの人たちと合わなかったし、はがきが来てもいつも見ていませんでした。

 

 

繋がるまでに半年かかりました。

繋がっても、信頼を持てるまで1年はかかったかな。

 

 

毎日、家で暴れていました。

自分でも、きっと頭がいかれてしまったんだと思っていました。

 

 

だったら、いっそ、警察官が銃で僕を撃ち殺してくれないかと願いました。

 

 

生きていても希望はなかったから。

 

 

毎朝、目が覚めても、いじめられたこと。

のけ者にされた自分には、一人も友達がいないこと。

勉強がまったくわからないまま、1日学校に居続けたこと。

 

 

そんなことがこれでもか、これでもかと頭の中に出てきて、気が狂いそうだった。

 

 

それなのに母は、「◯❌▲◇💀💣」で向かってきましたので、火に油を注いでしまい。

大爆発ですわ。

 

 

ドッカーン !!

 

 

あれから、10年近くが経った今。

 

 

僕は毎日が楽しいです。

 

 

朝、目覚めると、「腹がへった。」と強く感じ、朝食が待ち遠しいです。

「今日のメニューはなんですか。」と待ち切れずに聞いてしまう僕です。

 

 

 

朝食までの時間、家の外に出て、散歩をします。

おひさまの光。

頬を撫でる風。

目の前を飛び交う蝶々たち。

 

 

そのことだけで、涙が出てしまいます。

生かされている自分を感じます。

また、活かされている自分でもあります。

 

 

周りの人たちに助けられて10数年。

 

 

今の僕があるのはそのおかげなのです。

 

 

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