発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

支援は僕には無理だと思った理由。 ヒロ

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突然へそ曲げて自分の部屋に一人で籠城です。困ったな。

 

 

僕が支援活動をやめますと先日お話ししたところ、たくさんの方からメールでの励ましをいただきました。

毎度、毎度おさわがせしてすみません。

 

 

もともと支援活動は一時的なものと話していたつもりでした。

 

 

この1年間は積極的に日本の中学校での講演会を通して、いじめや不登校の子どもたちを励ましていく予定は確かです。

 

 

そしてそのためにサポートセンターで支援の見習いということでこの4月から支援の現場で働いています。

しかし、見習いのままで良いと思いました。

 

 

思った以上に支援は大変です。

僕はすでに長期間支援を受けていて、支援の中身はわかっていたつもりでしたが、甘かったです。

 

 

先日ついに寝込んでしまいました。

今も体全体が重いですし、食欲もないです。

微熱が少し前から続いています。

 

 

寝られないんですよ。

お世話している人たちが目の前に出てくるんです。

 

 

「助けてくれ」とお世話している人が叫ぶ夢を見ました。

しかし僕が手を差し出して、捕まえた手を彼は自ら放したんです。

「なんでだよ!!」

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  フリーズしてしまった二十代青年。無言の時が続きます。

 

 

世間の人から見れば、「本人の甘えだ。」の一言で一蹴されるような人たち。

 

 

 

その人に寄り添い続けるということがどれほど大変なことなのか。

問題は目の前の人ではなく、その人の弱さを受け止められない僕にあるんです。

 

 

わかったんです。

僕には無理だとわかったんです。

 

 

この支援は命がけですよ。

支援者の人生が支援となる。

書いていてよく意味がわかりませんが。

 

 

日々の生活の中で一番大切なことに「支援」が真っ先に来る。

そうでなければできません。

 

 

朝、9時から5時までの中での支援では効果は薄い。

 

 

家族になろうとしているんですよ。

一緒に同居までして家族になろうと努力しているんです。

 

 

そうなんです、サポートセンターの人たちはその人の家族になろうとしているんだ。

 

 

僕の父は青木さんですか。

母は敦子せんせえですかね。

おばさんやお姉さんはフィリピン人スタッフたち。

 

ゴリ男は親戚の頼れるお兄さんか。

東大さんや俊介兄いは昔の俺を思い起こさせてくれる人たち。

 

 

日々の生活の中で、1つ1つできないことを教えていく。

その場で教えないといけない。

 

 

だから同居生活が必要なんだ。

2年、3年と。

 

 

いや、いや、いや。

だから僕には無理だということがよーくわかりました。

 

 

30年ひきこもった東大さんが、来春社会に戻るために大きな一歩を踏み出しました。

しばし日本で学びの時を過ごします。

 

 

4年前にフィリピンに来た時、誰がそのことを想像できたのでしょうか!!

 

そこに至るまで、おいらはいつもそばにいて見ていましたよ。

 

まあ、そういうことで、僕が支援をすることを断念した理由をご理解していただけたかと思います。

 

 

ありがとうございました。

お手伝いはこの一年間続けますよ。

来年からは、専門学校かもう一度大学に入ります。

 

もちろん経済的自立を目指すためです。

 

 

また明日。

 

 

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