発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

フィリピンで再起を図る僕 やす

 

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母親と話し合った。

 

 

母親は「やはり日本国内にいてはダメだ。将来が台無しになる。」と言った。

 

 

「沖縄とか北海道ではだめか。」と聞いたが、「国外に行くしかない。」と言われた。

 

 

「じゃあ、どこに行くんだ。」と聞いたら「アフリカに一緒に行こう。」と言われた。

 

 

警察官からは「地元にいると色々と問題を起こしてしまうので違う場所に移ることを母親と話してみてはどうか。そうしないと君の将来に傷がついてしまう。」と言った。

 

 

僕の頭は混乱していた。

何も考えられなくなっていた。

むしゃくしゃしたので、外に出た。

 

 

「どこに行くの?」と母親が僕に声をかけた。

母親は走って僕の後をついてきた。

 

 

「お願いだからもう他の人に迷惑をかけることはしないで。お願いだから。」と泣きながらすがるように僕に話しかけた。

 

 

僕も泣いた。

しゃがんで泣いた。

そして僕はその時決心した。

 

 

日本から出ることを決心しました。

母親とアフリカに行くことを決心しました。

 

 

決心してアフリカでボランティアをしている人とお会いしました。

そして色々とお話を聞きました。

とても優しく色々とお話ししてくれました。

 

 

でも僕にはとても難しい。

アフリカで生活していくことはできないと感じました。

 

 

そんな時に、青木さんのことを思い出しました。

青木さんと、母親と僕の3人で会って色々と話し合いました。

 

 

母親には席をはずしてもらって、青木さんと二人で色々と僕の悩みを話しました。

その時に話してくれたことで覚えているのは2つです。

 

 

1、「何が良くて何が悪いのかを毎日の暮らしの中で身につけていかなければならない。5年ぐらいはかかる。」

2、「女性との付き合い方を学ぶ。」

 

 

そしてもっとも僕が関心を寄せたことは、菜々緒似の女性がフィリピンにはいるということです。

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          ヒロさんで言えば18号です。

 

最近の国際美人コンテストでも2回も優勝するくらい綺麗な人がフィリピンには多いのです。

 

 

それを聞いて、僕はフィリピンに行くことを決めました。

 

 

行くまでの間、朝から晩まで一日中タガログ語を必死になって話す練習をしました。

 

 

近くの教会にフィリピン人の人たちがミサで集まっていると聞き、僕も教会のミサに行って、話し相手になってくれるように頼みました。

 

毎日、フィリピン人の人たちと話す練習をお金を出してすることにしました。

 

 

3人のフィリピン人の女性と朝から晩まで一日中話すスケジュールを無理を言って組んでもらいました。

 

 

それとフィリピンの地図を青木さんからもらって暇があったら見続けて、頭に焼き付けました。

 

 

僕がフィリピンに行くまでに一ヶ月近くかかりました。

後になってわかったんですが、青木さんたちが僕のために環境を整えてくれていたんです。

 

 

そして僕の再起への道がこれから始まります。

 

 

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