海外の大学でも友達できます。でも日本の高校特有なあの雰囲気がいいんだよね
大晦日、孫たちと紅白歌合戦を見ている最中に私の携帯がなりました。
夜9時以降の電話はほぼ青木からの電話です。
しかし、今はフィリピンにいるはずです。
よほどの急用かと思い携帯を見ました。
さとる(仮名)君からの電話です。
「もしもし、まるです。」
「すみません、国民のお休みの時間?にお邪魔してごめんなさい。」
「大丈夫だよ。何があったの。」
「今いいですか?」
さとる君はアスペルガー症候群と診断されている24歳の青年。
お母様はしつけだけは厳しくしていたせいか礼儀正しい青年です。
しかし、人とのコミニュケーションがうまくいきません。
小学校から不登校気味で、高校は1年で中退。
以後、昼夜逆転、ゲーム依存、家庭内暴力、警察沙汰というコースを辿りました。
「留置場に入るか、サポートセンター名古屋に入るかどちらかにしなさい。」とお父様にきつく言われて、20歳の年の瀬が迫る頃に私達の支援が始まりました。
サポートセンターの支援が始まっても、暴力的な態度はなかなか改まりませんでした。
時には自分では手に負えない苛立ちを自分自身に向けます。
頭を壁に叩きつけるのです。
「壁の補修一箇所3万円税込み3万2400円!!」
「給料から天引きしておくよ。」
そういうと大概はやめます。(笑)
彼が変わるきっかけはやはり、「役割を与える」事からでした。
ボランティアのお世話がかりから始めたのですが、今では慣れたものです。
現地の人から喜ばれ色々なものをもらってくるたびに、私たち職員に嬉しそうにおすそ分けしてくれる彼です。
その彼が年の瀬に久しぶりに実家に帰って苛立っているのです。
「24歳ですよ。友達いねえんだよ。彼女もいねえ。貯金もない。車もない。物なんかどうでもいい!!思い出が何もない。それが一番辛い。助けてくれよ!!」と泣き叫んでいるのです。
調子がずーっとよく、高卒認定試験にも合格し、来年からフィリピンかアメリカの学校に行くかで迷っているそんな状況でした。
「嫌な事を思い出したきっかけがあるでしょ。何ですか?教えて下さい。」
彼が教えてくれたのは 「youtube 」
私の説明よりも下記の動画をクリックして見てください。
この中にいたかったんだね。
ほんの一時しか味わえないこの中に。
小学校から不登校のさとるくん。
学校が嫌で行かなかったんじゃなくて、行きたくてもいけなかったその悲しみ。
高校で何とか繋がりたいと頑張ったけれど・・・・・・。
皆さんはさとる君が感じている悲しさをわかってもらえますか。
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