発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

診断名にとらわれないでくださいね ヒロ

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期待してた日本食。でも感動せず。僕はフィリピン人なんだ。

 

 

僕はアスペルガーADHDの特性を持っていると2つの病院で診断されました。

中学3年の時です。

 

 

かなり悪い状況だったらしい。

病院からこう言われたから。

「うちよりもっとふさわしい場所があるから、そこに移りましょうか」

 

 

病院には病院のプライドっちゅうもんがあると思っています。

そのプライドを捨ててまで、青木さんのところに面倒をみてもらえないかといってきたのは、いかに俺が大変な状況だったのかがわかるというもんです。

 

 

 

まあ、「アスペルガーADHD」とか言われても、特別にどうこうは僕は思わなかった。

その時は自分がみんなと違うのはそのせいかと思った程度でした。

 

 

「ああ、俺はアスペルガーなのか、あああ、おれは、おれはアスペルガーとしてこの世に生を受けた男。生まれてきてはいけなかった男!!ああああ、かみさま〜。」

 

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「か、か、神よ。我が神よ。なぜに我を見捨てたもう」

 

 

そんなことはこれっぽっちも思わなかった。

 

 

ちなみに俺はサポートセンターで11年目の在籍です。

年長組です。

俺の前を100人近くの人たちが通り過ぎて行きました。

 

 

誰1人として「発達障害として生まれてきてしまった。」と悩んでいる人は1人もいませんでした。

そのことだけは伝えたいです。

 

 

発達障害を告知することに強いためらいをお持ちの親御さんたちがいます。

「考えすぎです。」と言いたいです。

伝える時期もそんなに考え悩む必要はないと思いますよ。

 

 

まあ高校生ぐらいが一番いいんじゃないですか。

診断名にとらわれすぎてはいけません、お母さん。

要は最低限のことをできさえすればなんとか社会の中で生きていけるのですから。

 

 

 

はい、講演会で何度もそう聞いております。

サポートセンターのスタッフたちもそんなことを言っておりました。

 

 

まあ、発達障害ということはほとんど言わないスタッフです。

「診断名は診断名でしかない、1人1人の特性を把握して、それにあったふさわしい支援をしていくことがとても大切なのです。診断名にこだわらないでください。」 BY つるぴかドン

 

 

さて、久しぶりの日本です。

飛行機から出て日本の地に足をつけた僕の第一声。

「なに、これ、めちゃあ寒いんですけれど、さみいーーーーー」超でか声で!!

 

 

周りの乗客一斉に声の方に視線をやる。

視線の先にはデブ@デブ男のおれがいる。

はい、失笑が巻き起こる。

 

 

「かわいそうに障碍児か。」

「ご両親お気の毒に。」

きっとそうおもってんだろうな。

 

 

青木さんはと、見渡したら、前の方で通路に倒れ込んでいた。

てっきり俺のバカさ加減にほとほと嫌気をさして倒れ込んだと思っていたら、足が絡んで倒れ込んだ模様。

「大丈夫?」

 

 

周りの乗客が青木さんを見るその目。

「親子してちょっとおかしいんだ。」

「なんなんだこのバカ親子。」

 

 

「さあ、俺の手につかまって、病院行かなくていいの?」

「すみません、だれかお医者さんいますか」

 

 

俺は映画でよく見たシーンを思い出し大きな声で叫んだ。

「どうしましたか?」地上客室乗務員が駆けつけてきてくれた。

 

「あらあ、大変。」

青木さんの鼻から血が溢れ出している。

 

 

すぐにテイッシが届けられた。

俺はそれをふんだくって青木さんの顔に押し付けた。

 

 

「大変だ、大変だ。俺は1人で講演会場の中学校まで行けないよ。」

「どうすんだよ。マジで電車乗れないからね」

 

 

「お客様!!」のその声で俺は現実世界に戻された。

 

 

「名古屋からどうやって電車に乗って行くのか」

「電車賃はだれからもらえばいいのか。」

 そんなことを考えていた俺は、青木さんの口と鼻をテイッシュで力任せに抑え込んでいたことに気づいた。

青木さんは必死で僕の手を振りほどこうとしていたんだ。

 

 

 

これが程度の悪いアスペルガーな僕の真実ですよ。

だめだ、だめだ、日本に帰ってくるとおかしくなる。

なにをやっても変なことになってしまう。

 

 

この後もやることなすこと全てダメだし。

結局僕は何も成長していなかったのか。

早くフィリピンに帰りたい。

 

 

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