発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

みんなのようにやれない俺。 ヒロ

 

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 1ヶ月のお務めご苦労様です。お気をつけておかえりください。

 

 

今思い返しても、チラシ配りの仕事ができたということは俺にとって大きかった。

 

 

もちろんそれまでにもサポートセンターが用意してくれた仕事でこなせたものもあった。

 

 

でもチラシ配りは俺が見つけて、おれが自分で面接に行って勝ち取った初めてのアルバイトだったから、嬉しかったと思う。

 

 

そんなアルバイトもクビになってしまって、しばらくは落ち込んでいた。

しかし、時間がたったらまたアルバイトがしたくなった。

 

 

アルバイトがしたいと言っているおれ。

その3年前までは学校にも行かずに一日中ゲームをやっていたのにな。

便所に行く時間ももったいないって思うほどの熱心さだ。

 

 

ひきこもってゲームをやっていた。

母は良い加減にしなさいとゲームを取り上げた。

そして俺は母親を殴った。

 

 

家の中を破壊した。

 

 

それがこの変わりようだ。

 

 

1、アルバイトができたという事で、不安が消えた。

2、自分でお金を稼ぐことのうれしさ。

3、稼いだお金で自分が欲しいものが買える嬉しさ。

 

 

以上で俺は働きたいループにはまったんだ。

だからチラシ配りを辞めさせられてもしばらく経ったら、また探し始めた。

 

 

しかし、ハゲの俺に対する計画は違っていた。

「もう日本で働く必要はない。」とハゲは俺に言った。

もしかして収容施設に送還なのかと不安で仕方なかった。

 

 

この世の中で、危険と判断されたり、生産性がないと思われた人たちを強制的に人里離れた場所に送り込み、2度と社会と交わることを許されない。

 

 

そんな場所があると俺は信じていた。

俺はそこに放り込まれる。

 

 

そう確信した。

そうなる前にここから逃げ出して、ヤクザの世界でお世話になることを計画していた。

 

 

そのことをスタッフで一番口が固いY嬢に相談した。

「無理だよ。ヤクザはもっと厳しいんだ。上下関係や作法。ヒロさんは半日でクビだね。」

 

 

「ヤクザは半端モンが行くところでしょ。だったら俺みたいなやつが行く場所だ。」

 

 

「何もできないし何もやろうという気力もないヒロさんはヤクザの世界でも必要とされない。」

信頼しているY嬢はそう言った。

 

 

Y嬢は元ヤクザ屋さんの奥さんだった人。

サポートセンターが支援して真っ当な道に進んで、その当時は支援スタッフとして、少年院帰りや家庭内暴力の酷い連中のお世話をしていた。

 

 

だから、Y嬢のおしゃったことは本当だと思った。

 

 

つまり「死ぬ」しかないということがよくわかった。

俺はこれ以上生きていくのがとても辛かった。

ここまでも一生懸命俺なりにやったけど、何もかもうまくいかない。

 

 

サポートセンターでも落ちこぼれたんだ。

だからもう良いと思った。

 

 

全て終わりにしたいと思った。

支援を受けて4年目頃のこと。

 

 

 

やっぱり昔のことを思い出すと涙がでます。

何も希望がなかったんです。

本当に俺は俺なりに一生懸命やったんだけれど、みんなのようにうまくやれない。

 

 

毎日生きているのが辛かった。

 

 

 

こんな内容を今日も読んでくださり、心から感謝いたします。

 

 

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