目次しか読めていませんが是非お読みください。
「青木さんですよね。」
その声の方を振り返ると、支援者のMさんだった。
私がこの働きを始めた当初からご支援いただいている方だから、30年来のおつきあいになります。
私たちが乗り合わせた電車は中部国際空港行きの特別列車。
「これから息子を迎えに空港に行くのです。」
30年前の記憶が呼び戻った。
息子さんは不安が強くなり中学から学校にいけなくなり、家族以外の人とはあえなくなってしまった。
そんな時に、知人を通してMさんからの相談を受けました。
しかし、その当時の私は経験値も少なく何もお役に立てなかったのです。
それ以降も息子さんの様子は良くないとの情報を耳にはしていましたが、私にはどうすることもできませんでした。
「息子が香港から帰ってくるんですよ。荷物が多いので私が呼び出されたんです。」
「香港は観光ですか?」
「いいえ、青木先生には何もご報告していませんで、申し訳ありませんでした。あれから息子は中国の大学を卒業して、今香港で日本語を教えています。」
「えっーーーー」
思わず大きな声で反応してしまった私です。
「日本語の教師の資格も取ったんですよね!?」
「はい。」
私のテンションが上がった!!
聞きたいことが山ほどある。
しかし、20年ぶりにお会いしたMさんからは私に対しての質問が多くて中々私の質問が言い出せないのです。
「青木先生、フィリピンに渡って飲食店までオープンして、たくさんの青少年を回復に導いていて、それはそれは大変なご活躍・・・・・・。」
Mさんの言葉が頭に入っていかない私です。
「ええ、まあ。」と気のない返事を繰り返します。
「1人で中国の大学なんて無理だ。誰かが支援してきたんだ。うちに変わる団体ってどこだろう?いや、違う団体だったら一言断りを入れてくる常識をお持ちのMさんだ。」
一体全体長年ひきこもっていた彼に何が起きたのかを今すぐにそして詳細に知りたいとイライラしていた私です。
セントレアについて私の方からMさんへ質問をしました。
以下がおとうさんの回答です。
ある中国人一家と家族ぐるみの付き合いをしていたMさんご家族です。
ご自宅に招いて食事を振舞うことをする中で、息子さんとも知り合うことができました。
その息子さんに対してなんとかしたいと考えていた中国人の方は、ある日息子さんに対して、こう話しかけたのです。
「中国に移り住んでそして大学を出て、中国と日本の架け橋になってもらえませんか?」
その中国人は中国の大学の教授だったのです。
促されるまま、中国に渡り、気持ち的に上がり下りはあったけれど無事に大学を卒業した息子さん。
中国で良い交わりの中に入れられて、そこでいろいろなことを通して自信を獲得していった息子さんは、卒業後香港で日本語教師として働いているのです。
改札口手前で別れた私の背中越しに、お父さんが声をかけました。
「青木先生がおっしゃっていることは間違いではないです。」
「環境を変えること。」
「役割を与えること。」
「希望を見せること。」
「うちの息子が証明しましたよ!!」
そのまま急ぎ足でトイレの個室に駆け込んだ私です。
便座にしゃがみ込んで腕組みをし、気持ちを落ち着かせます。
「彼は変わったんだ。回復したんだよ。」
「すごいことだよ。すごいよ。」
「希望を決して捨ててはダメなんだ。」
「彼が変わったんだ。私は無理だと思っていたけれど変わったんだよ。」
「環境、役割、希望」
「環境、役割、希望」
「環境、役割、希望」
何度も何度も同じことを口に出して言いました。
10分ほどしてようやく落ち着いた私は、バッグを電車内の棚から降ろすことを忘れていたことに気づきました。
私は忘れ物をしたことがない人間です。
よほど気が動転していたのでしょう。
幸い駅の改札口に届けられていてことなきを得ました。
この日の出来事は私に対する大きな大きなエールでした。
出会いを感謝します。
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