発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

就学ビザを獲得するまで ヒロ

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       あつこ先生〜とクラスメイトと俺。

 

 

 

何が起こっているのか俺にはチンプンカンプンだった。

スタッフが俺に何が起こっているのかを教えてくれたんだ。

 

 

 

何が起こったか・・・

信じられない話だ。

 

 

 

就学ビザには、在住している証明書が必要なんだ。

俺の場合は賃貸の一軒家を借りていた。

そのオーナーが書いた証明書の住所欄に間違いがあった。

 

 

つまり自分とこの住所を間違えたんだ。

公的書類に書くべき自分とこの住所を間違えた。

信じられん。

 

 

 

もうひとつ信じられんことがある。

再度書き直した住所が旧住所だったということ。

???

 

なんですって?

俺んとこに来ている郵便物全て旧住所宛ですよ。

水道局、電気、税金全て旧住所。

 

 

いつから新住所になったんですか?

おかしなことだらけのこのフィリピン。

我慢できるかできないか?

 

 

あなたならどっちですか?

 

 

しかし、入国管理事務所の対応がこりゃあまたおかしい。

間違えたのはおいらじゃなくて、大家さんだ。

しかし、「日本人に責任があるので今回の就学ビザはダメな。あきらめな。」

 

 

 

「なんでなんですか?」

「なんでもかんでも俺が決めたことなんだから、ダメはダメな。」

「今から書類を全部作り直さなければダメなんだ。」

 

 

「就学ビザの審査期間はとっくに終わっているのを特別に伸ばしてやったんだ。それだけでもありがたく思わないとな。」

「書類を作り直すのはそんなに難しいんですか。」

 

 

「俺は忙しいんだ!!」

 

 

 

青木さんから全タッフに指令が伝達された。

「入国管理事務所が作り直してもらえないなら、作り直すというまで、座り込みを覚悟しよう。」

 

 

ALL FOR HIRO

 

 

泣いた。

激しく泣いた。

 

 

俺は二十歳まで泣いたことがなかった。

そんな俺がここフィリピンに来てから歳をとるにつれて泣き虫になっている。

 

 

「でももういいです。」

「もう十分です。」

「自分の成績が悪くて就学ビザが下りなかったんじゃないだけ、おいらは納得しています。」

 

 

「おいらは胸を張って日本に凱旋します。」

 

 

そういったのにどのスタッフも俺の言うことに耳をかたむけず忙しくしていた。

 

 

 

「座りこみになったら、下着は何枚必要かな。」

「携帯の充電器持ったか?」

「マニラと日本から応援部隊が当直するので、座り込みスケジュールを考えないとな。」

 

 

スタッフ全員、この程度の悪いアスペな俺のために精一杯のことをしてくれているんです。

 

 

 

必死の抗議が実ったのはそれから一週間後でした。

学生課の先生から電話が鳴りました。

「ヒロさん、やっと取れたよ。」

 

 

先生は泣いてくれていました。

僕ももちろん泣きました。

 

 

こうして僕の長きにわたる就学ビザ闘争は幕を下ろしました。

たくさんの人たちの応援と励ましがあってここまでこれました。

 

 

 

僕は残りの大学生活をいままで以上に楽しみます。

もちろん勉強も頑張りますよ。

 

 

 

「昨日、大学での授業の一環としてフイリピンで活躍する日本人女性にインタビューをしました。」

一番手はあつこ先生〜でした。

 

 

あつこ先生〜はおいらが他の生徒と協力してインタビューを頑張っている姿を見て、泣いておられました。

 

 

 

程度の悪いアスペな俺でもあつこ先生〜のお気持ちは痛いほどわかります。

 

 

 

本当に、本当に長い間お世話をお掛けいたしました。

まだ当分お世話にらなりますが、どうぞよろしくお願い致します。

 

 

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