新しい彼女ですか?お幸せそうでなりよりです
僕のおかあさんは重い鬱なんよ。
「ぎゃあ」と叫んでいます。
「死ねばいいのに」そう思い込んでいた時期もあった。
でも今はそんな状況のおかあさんでも、僕のおかあさんや。
大切にしたいと思っとる。
あのな、僕アメリカに行く前に、兄弟に謝ったんよ。
今までのことをね。
にいちゃんとねえちゃんに謝りたかったから。
にいちゃんとねえちゃんはとても頭がいいんです。
僕と違ってとても頭がいい。
両親の自慢の子どもたちや。
昔な、小学校で表彰されたとか、通知表がオール5とかそんなんで家族がえらく嬉しそうにしとったんよ。
で、僕も頑張ろうと思ったんやけど、勉強がわからんのよ。
にいちゃん、ねえちゃんが教えたろと言ってくれてもわからんのよ。
「なんでこんな簡単なことがわからん?もっと真面目にやりなさい」とねえちゃんによくしかられたこと思いだすんよ。
今になってわかるんよ。
にいちゃんとねえちゃんと僕はちがったということ。
二人みたいにはなれえへんということ。
でもにいちゃんたちには理解できへんかった。
「いい加減やる気出せよ」
そんなことも言ってたな。
「3人で協力しておとうちゃんの後を継ぐで。」
「ほんでこの地区で一番を目指すんや。」
そう言うとお父ちゃんはにこにこしていたな。
でもな、3人じゃないんよ。
僕は落ちこぼれてしまったんよ。
僕はこの家ではいらん子やなと思っとった。
勉強できるのが当たり前の家族やったから。
小さな僕には家族が社会なんです。
だから僕は社会からはみ出したと感じていた。
「僕な日本であかんかったから、アメリカに逃げていきます。」
そうにいちゃんに言ったら、「違うやろ、希望を見つけにアメリカに行くんやろ。『逃げる』という言葉は使うんじゃない」
「発達障害」を勉強したよ。大統領の辛さを理解できなくてごめんな。辛かったやろ」
その言葉だけで十分やった。
僕は泣いた。
姉ちゃんも部屋から出てきて「辛くあたったことを堪忍な」と言ってくれた。
涙が枯れてしまう前に自分の部屋に戻った。
なぜかヒロさんに電話してしまった。
「おい、大統領どうした、なんか喉にでも詰まったのか」
「逆立ちしろ、そんな時には逆立ちだ。昔な伊藤家の食卓でやっていたぞ」
かける相手を間違えた。
アメリカに行く日。
にいちゃんが運転する車で僕はセントレアにむかった。
にいちゃんが保安検査場の前で、紙袋に入ったものを渡してくれた。
「どこにいても俺たちは家族なんだから、なにもなくても電話してくれよ。」
あかん泣いてしまう。
にいちゃんを見ずにどんどん奥に入っていた。
保安検査場にはたくさんの人が並んでいた。
時間があったので、紙袋を見た。
家族からの色紙だった。
僕が幼稚園の時に家族で行った北海道の写真が真ん中に貼られていた。
ふと、右隅にミミズが這ったような小さな文字を見つけた。
「さびしい」
それはまぎれもなく、母の文字だった。
瞬間的にスイッチが入った僕はその場でしゃがみこんでしまった。
「ぎゃあ」としか言わないはは。
会話ができないはは。
でも僕のことを思っていてくれたんだね。
入国管理のスタンプを押してもらった時には、僕の心は今までになく晴れ渡っていた。
やるぞ、やらんでどうするんだ!!
すべてのわだかまりが溶けた。
僕は自由だと感じた。
アメリカでの新しい日々に期待します。
今回で僕のブログはおしまいです。
今日の記事を書きたかったんです。
ここまで導いてくれた皆さんに感謝します。
サポートセンター名古屋のみなさん、ふさわしい言葉が思いつきません。
「感謝」それで勘弁してください。
僕みたいな子どもさんをもつおかあさんとお父さんへ。
どんな状況になってもけっしてあきらめないでください。
ご両親があきらめてしまったら、おしまいです。
ヒロさんや僕はとても悪い状況でした。
病院で父親が聞いたのは、あまり多くは望めないという言葉でした。
丁寧に個別で支援をし続けてくださればよりよい状況には必ずなります。
身を持って僕はそれを体験しました。
そしてそれは大変長い時間がかかるものです。
また待つことも大切です。
どうか今受けている支援を信じてください。
いつかきっとあんな辛い日日があったんだねと家族で笑い合える日が来ます!!
それではみなさんお元気で。
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