「青木さんから今回の失敗した事例は出さない。」との連絡がきました。
まあサポートセンターの考えですからね従います。
で、まあ、そのなんといいますか。
論文も提出して今は少し気が抜けている俺です。
6月から4年生の授業が始まります。
そしてまあ後期には色々な企業でインターン生として研鑽を積むわけです。
ところがですよ。
ハゲからこんな話を聞いたんです。
なんでもおいらの大学に今年は6名(また1名増えました。)もの入学者を日本から送り出すとのことです。
そして来年以降は毎年数十名の生徒を送り出す計画らしいです。
そこで日本人生徒たちのお世話がかりがいるので俺がその大役を任せられました。
その役目をこれからも引き続きやっていかないかと言われたんですよ。
もちろん仕事としてやるんです。
ちゃんとお給料を支払ってもらえます。
その金額ならおいらは結婚も子育てもできるんですよ。
素晴らしい提案です。
それで、俺は来年度は違う学部に入り直して引き続き大学内で後進の生徒のお世話をしたらどうかという提案がサポートセンターではなされているとのことです。
つまり万年大学生ということだ。
次は介護学部、心理学部、その次は・・・・・・。
全部取ったらどうしたらいいんですかと聞いたら、フィリピンで一番難しい大学に移るということらしいです。
で、それ以降は?
大学院でもいいかな?
????
おいらはアルバイトの面接の時に履歴書に何も書くことがなくて困ってしまったことがあった。
今度は違う意味で困ってしまう。
卒業したたくさんの学部名をことごとくかかなきゃならないからな。
「俺、一生勉強で苦しむんですか?」
「今でさえ寝ている時間以外は勉強しているんですよ。」
「それを永遠と続けるのか?」
「それは東大さん(東京大学大学院を修了後30年近くひきこもっていた人でサポートセンターの支援を受けて今はスタッフになっている人)にやってもらえばいいじゃないですか?」
「あの人三度の飯より学問の人でしょ。」
「あの人がいいですよ。」
そうしたら、「IQ70で小学校と中学校は不登校でいじめられて、ゲーム依存とインターネットエロ画像依存になって、出会い系サイトにハマり、美人局からかろうじて逃げ、家庭内暴力でお母さんを重症にさせてしまって、警察沙汰ばかり起こすから、もう日本にはおられなくなって、赤道近くへ島流しにあって、そこでボランティアを通して「希望」を見出し、決断してインターナショナルハイスクールを出て、大学入ったら、ストーカーにあって怖くて大学不登校になってしまったけれども、もう直ぐ卒業して、何をおいても、彼女ができて、結婚もできそうまで来た、再起を成し遂げつつある男の物語が必要だ。」ということでした。
そう言ってもらえばよくわかります。
だったら俺しかいないじゃないですか。
日本広しといえどもこの俺しか、やるものがいねえんだ。
「やったぜ!!」とはいかないですよ。
発達障害の二次障害でひきこもったり家庭内暴力や無気力になった人たちのお世話でしょ。
俺がそのことをするんでしょ。
そんなん無理だって。
特にサポートセンターでお世話している人たちはどこの団体に行ってもうまくいかずに最後の場所としておいら達を選ばれる人たちなんだからね。
それほど大変な人たちの支援をサポートセンターは毎日やっているんですよ。
それがどれほど大変なことかは、支援を受けてきたおいらが一番知っていますよ。
無理だな。おいらには。
それよりもマニラの日本食堂の権利を譲ってくださいよ。
夫婦で経営していきますわ。
それが俺には一番あっていると思うんですけれどね。
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