この子どものお父さんとお母さんは台風で流されて行方不明だった
青木さんからメールが来た。
「この調子でブログを書いて行くと2016年の今に追いつくにはあと1年ほどかかるよ。」
「たぶんそうなると思うけど、どの程度書けばいいのかわからないので、今度の週末は三連休が取れるのでそこでまとめて要点だけ書くけどいいですか」と聞いた。
まだ返事はない。
電話したら青木さんはフィリピンに行くという。
そういえば天皇陛下も同じ日にフィリピンに行くんだね。
青木さんが僕にブログを書かせている思いは最初から分かっているんだ。
それはケンさんに伝えたいことがあるから。
僕がたどってきた道を描き終わる頃にはケンさんは会社を辞めてしまっているかもしれない。
そうなると意味がないんでしょ。
だからまあペースを速めて書きます。
フィリピンで見たこと知ったことは今までの人生で最も大きな衝撃を受けたことだった。
沖縄での出会い。
励まし。
共感。
それらもすごかったけれどね。
フイリピンでの体験は僕の甘ったるい考えを根底から覆してしまうほどのエネルギーを秘めていた。
日本から南へ4,000キロ離れた場所に全く違う人たちの生き様があった。
運命と呼ぶにはあまりにも過酷な日常の生がそこに横たわっていた。
これはどこかの本に書いてあったのを書き写しました。
でも言っていることと同じことを僕は感じたんです。
(青木さんが書いた文章です。 by スタッフ)
あの人たちのことを見たら僕はまだ幸せなんだよ。
日本では考えれば生きていける方法もまだ見つかるんだ。
落ち込んで自暴自棄になる必要なんかないんだ。
起ち上がれよ。
視線をしっかりと前へ。
負けるんじゃねえぞ、お前。
その時にはこんな言葉は考えつかない。
今になってあのときこんな事を感じたていたと思うんだ。
何もない。
保証は何もない。
今日食べる食物もない。
でもこんな自分の事を思いやってくれる家族がいるんだ。
一人じゃないんだ。
貧困と孤独どちらがマシなのか?
あのときのことはもうすでに僕のなかでは消化されてしまい、鮮明には思い起こせない。
記憶を辿りながら僕が何を感じたのか。
僕が何を教えてもらったのか。
そんなことを書いていきます。
〈ケンさんのことを気遣ってくださっている皆様〉
お母さんから連絡がありました。
新年明けてから1日も休まずに仕事に行っているとのことです。
しかし、ご家族との会話は全くなくなりました。
食事も一緒に食べるのではなく一人で部屋で食べているとのことです。
大好きだったアニメ同好会と鉄道同好会には参加していないそうです。
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