発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害者支援 沖縄でボランティアなんかやりたくない

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サポートセンター名古屋の話を書いていないので書きます。

 

 

高卒認定試験が終わった後に沖縄のボランティア活動に参加を勧められました。

でもお金がないので行けるわけがありません。

 

 

「旅費を出してくれる人がいたから行けるよ。」ということで行けるようになりました。

 

 

 

誰が僕の旅費を出してくれたのかは今でもわかりません。

狐に包まれたような感じで僕は沖縄に行きました。

 

 

 

沖縄ではまず最初にダイビングをしました。

見たことのない美しい沖縄の海。

僕はその美しさに圧等されました。

 

 

釣りやマリンスポーツをしたり、イルカと一緒に泳ぐこともさせてもらいました。

 

 

 

今まで旅行といえば中学の時に行ったディズニーランドぐらいだった。

それもクラスの連中から嫌われていたから楽しい思い出はなかった。

 

 

楽しい4日間はあっという間に終わって後半のボランティア活動が始まる。

正直気持ちは重かった。

 

 

事前にスタッフと打ち合わせはしたけれど正直ボランティアなんかしたくなかったし、するようなタイプの人間ではないと思っていた。

 

 

 

僕のやることは、不良少年たちが集まる会で自分の体験談をかたること。

 

 

そして不登校や引きこもり、家庭内暴力がある子供を持つお母さんやその子供達を支援している人たちに対して自分の体験談をかたるということだった。

 

 

自分で書いた原稿は20回くらいはスタッフに直された。

僕の持ち時間は30分。

原稿を見ないでも話せるくらい実際に話す練習をさせられた。

 

 

サポートセンター名古屋の練習はとても厳しいです。

「聞きに来てくれている人に希望を届けるんだ。心から喜びながら話なさい。」

自分は人前で話したことなんかない。

 

 

どちらかといえば僕はいつも口の中でモゴモゴと話す。

切れた時には大きな声で威嚇するような話し方しかしてこなかったので、とても難しかった。

 

 

話し方の練習の時にはスーツを着てネクタイを締めて革靴まで履かされた。

いつも本番のような感じで練習した。

特に青木さんの指導は熱かった。

 

 

僕の原稿を既に暗記していて、僕に成り代わって話す見本を見せてくれた。

でもとても信じられなかった。

僕の原稿を僕になりかわって読んでいた時に、泣いたんだ。

 

 

はあ?

その時は「なんだこの人と思った。」

今になってわかる。

 

 

僕みたいなどうしようもない小さな一人の子供にたくさんの人が愛情を注いでくださっていたんだ。

青木さんはその人たちの思いをビシビシと感じていたんだろう。

 

 

僕の半生を語りながらおひとりおひとりの顔が思い浮かんだのかもしれない。

今は僕がそのことを思うと泣いてしまう。

 

 

いよいよ僕がみんなの前で話す時が迫ってきた。

 

 

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