発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害者支援 言葉を変えればコミニュケーションが取れる。

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「楽しい会話ができること」支援の始まりはそんなところからだろうね   

 

 

もう一度人生をやり直したいとの思いで、フィリピンで8日間支援を受けているAさんの帰国が近づいてきました。

小学校から学校にいけなくなってしまい、何度もやり直そうと頑張ったAさん。

 

 

でも、何をどうしたらいいのか?

一度つまづいてしまったAさんにはどうすることもできませんでした。

何度か自分一人で立ち上がりましたがすぐに倒れてしまう。

 

 

そんなことの繰り返しで、気づけば30代になっていました。

誰かにヘルプを出せばいいのにと思ってみえるそこのあなた。

誰にヘルプを出せばいいのかわからないんですよ。

 

 

だからヘルプを出せないんです。

サポートセンター名古屋で支援を受けた多くの仲間は言っていましたよ。

「心の問題より就労に重きを置いている支援には繋がれない。」

 

 

「居場所にすら行くことができないのに居場所からスタートする支援は自分たちには関係ない。」

おいらが最初に行った支援施設は朝4時起床でした。

 

 

眠たい目をこすりながら掃除に取り掛かります。

楽しみにしている朝食は粗食です。

で、数日で歩いてその施設から逃げ出しましたよ。

 

 

確かに粗食は健康にいいでしょうよ。

規則正しい生活は必要ですよ。

精神を鍛えることは良いことです。

 

 

しかし!!

俺が欲しかったのは、俺のことをありのまま受け止めてくれる人たちだったんだよ。

俺は、今にして思うよ。

何もわかっていない人たちだったんだと。

 

 

青木さんから聞いた話しなんだけれど。

Aさんを見続けていた青木さんは、Aさんに対して「ここは日本ではないよ。誰もAさんのことを知らない。Aさんも知っている人は誰もいない。」

 

 

「会う人全てに話しかけてごらん」

そう言い続けて背中を押し続けたんだ。

もちろんAさんの傍にはいつも優しいスタッフが寄り添っていた。

 

 

タクシー内でAさんがドライバーにタガログ語で話しかけたんだ。

ドライバーは驚いて目を丸くした。

日本人かと数度聞きなおした。

 

 

 

なぜタガログ語を知っている。

どこで覚えたんだ。

満面笑みをたたえたドライバーはAさんに英語で話しかけた。

 

 

日本で外人が日本語で話しかけてきたら、僕たちは誰でも嬉しくなって思わず愛想が良くなりますよね。

フィリピン人は日本人と違って気持ちをはっきりと外に出す人種です。

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   鮮やかなオレンジ色のTシャツは青木さんの見立てだ!!

 

 

喜怒哀楽がはっきりしているんですよ。

言葉の裏を読めなんていうことないからね。

だからとても会話がしやすいんです。

 

 

言い換えればコミニュケーションが日本より取りやすいんです。

だからおいらはここにいることができるんですよ。

 

 

話が飛びました。

タクシー内でのささいなやりとりでさえ、Aさんには忘れることができない思い出となりました。

 

 

Aさんは言いました。

僕のように小学校から行けていない人が日本の社会に馴染もうとしてもとても難しい。

 

 

それよりも、使う言葉をかえて、住む場所も変えてしまった方がコミニュケーションは取りやすい。

 

 

名言です。

 

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