発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害者支援 もう一つの人生 ヒロ

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裸で来た子どもは俺の手を離さなかった。目には涙が浮かんでた。

 

 

俺の母親は心の病気です。

それと発達障害なんかそんなもんはないんだと思っていました。

俺が怠けていて勉強をしないんだと思っていました。

だから必死に勉強をやらせようとしたんです。

 

 

 

でも俺ってIQ75じゃないですか。

理解することがとても難しいわけなんです。

それをなんとか理解させようとしてくれた母親の思いには感謝しなければならないんです。

しかし、力づくでやらせようとしても無理だったんですよ。

 

 

 

拒否反応が積もり積もって爆発して母親に入院という大けがを負わせてしまいました。

そして家族から「一緒には住めない」となって、行き着く先がサポートセンター名古屋になってしまったんです。

 

 

 

家族から離されてサポートセンター名古屋で世話になる

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周りは理解してくれる人たちだから安心と快適な日々が送れる。

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ありのままを受け止めてくれながらも少しづつ軌道修正をしてくれた。

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何もできなかった程度の悪いアスペルガーな男に少しづつ変化がてでてきた。

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つまづいて倒れても、また引き起こしてくれる。その繰り返し。

しかし、経験したことは身につけて行き、俺の戦闘能力は高まっていった。

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フイリピンのボランティアで生まれて初めての承認があった。

洪水で何もかもが流された子どもに日本の皆さんから頂いた古着をあげたらその子どもが涙を流して「ありがとう」と俺に言ってくれた。

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それから俺は変わったんだ。

苦節6年俺は恋人もできて現在大学3年生だ。

思い残すことは何もないくらい幸せな日々を過ごしている。

          ↓

現在日々さらなる飛躍に励んでいる

 

 

 

もし母親が心の病気でなかったら俺はどうなっていたか?

多分暴力はそんなに出なくて単に勉強がわからない落ちこぼれだった。

それで中学出たら多分食堂とか工場で働かさせてもらっていたんだろうな。

 

 

 

なんか趣味を見つけてそれで趣味友なんかできたらそれはそれで落ち着いてやっていけてたんじゃないかと思う。

母親がお給与から貯金する分を取ってあとは小遣いとして渡してくれるような生活。

 

 

 

彼女を作るのは無理かな。

結婚ももちろん無理だろうな。

でも趣味に没頭しているからそれでそのまま年をとっていけたらいいのかも。

 

 

いやいや、そう考えると今の俺の状況がもっとも良いに決まっている。

母親と離されて俺の人生は変わったんだ。

誤解しないで欲しいんだ。

母親のせいではないということ。

 

 

これは仕方がなかったことなんだ。

誰かがわるいということではなかったんだ。

そう思えるのも今が幸せだからだろうな。

 

 

そう考えたら今の俺はこれはこれで良かったということなんだ。

 

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