発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害支援 変わりたい気持ちがあれば変わられる ヒロ

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フイリピンの女神 エンジェル・ロクシン様との2ショット4年前の俺

 

 

 

 

正直に話さなければならないんだ。

今は「程度の悪いアスペルガーな俺」とは自分自身感じていない。

普通の男。

 

 

いや、正直なところ平均以上だと思っている。

強い自信があるんだ。

 

 

 

フィリピンに着いた早々、英語の学校に行かされた。

イヤイヤ行かされた。

 

 

最初の授業。

担任の先生が「よく来てくれたね」って抱きしめてくれた。

若い女性だったら嬉しかったけれど、おばあさん先生だった。

 

 

でも嬉しかったね。

その時のことをよく覚えているよ。

5年前の話だ。

 

 

 

ボランテイアにも一緒に行くよと言われた。

ボランティアなんかしたくなかったんだ。

一緒に行かないと俺はポツーンと部屋で一人になってしまうので、まあ行った。

 

 

 

 そんな状況から始まった俺のフィリピンでの生活。

最初は島流しにあったと思っていた。

日本から南に4,000キロ。

地図を見たら赤道に手が届きそうな場所。

 

 

 

そこでの5年間で俺は変わった。

名古屋港に飛び込んで、俺という存在をこの世から消し去ろうとしていた男が希望を見つけ、目標に向かって頑張った5年間。

 

 

正しい表現は、変えてもらっただね。

 

 

俺は本当に程度の悪いアスペルガー症候群の男だった。

警察にお世話になったことも何度も。

あのまま行っていたら、今頃は塀の中にいたろうな。

 

 

変わりたいなら、努力するしかない。

方法はたった一つ。

自分が変わるんだ。

変わるのは周りではなく、この俺だ。

 

 

でも努力するのは大変だから、努力することをしない人が多い。

昔の俺のように。

そして、誰かのせいにする。

 

 

社会のありようが悪い。

学校の担任の態度で傷ついた。

家族や職場が無理解。

 

 

そうだったんでしょうね。

辛かったでしょうね。

 

 

で・・・・・・

 

 

どうすんの?

一生愚痴を言いながら過ごすんですか?

 

 

俺は、「自分の人生を大切にしたい。」と思えるようになった。

時間と手間はかけてしまったけど、ちいさな自信は大きくなっていった。

 

 

俺は昔のおれとは違う。

愚痴なんてでない。

発達障害がどうのこうのなんてなんとも思ってはいない。

 

 

今は残りの大学生活を存分に楽しみたい。

朝、目覚めると生きていることに喜びを感じる俺がいる。

さあ、今日はどんな1日なのかって。

 

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