発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害支援 10年ぶりのスタート 俊介30歳

 

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暑いのは苦手です。35度ですけど蒸し暑くはありません

 

 

2013年の2月10日、暦では春になっていましたが、冬に逆戻りしたかのように朝から粉雪がちらついていた日でした。

 

 

 

1時ちょうどにその人は家に来てくれました。

ニコニコしていた顔を思い出します。

 

 

 

「青木です、俊介さんですか、あえて嬉しいです」

「部屋に上がってお話聞かせてもらってもいいかな」

自分からそういう人も珍しいなと思いながら断ることもできずに、部屋に通しました。

 

 

 

静かな口調でしたが、その語り口には優しさがにじみ出ていました。

「もう一度一緒に人生をやり直そう」

僕はそう言われて、小さくうなずいてしまいました。

まるで、人生がそのように決まっていたかのように。

 

 

 

パスポートを作るために久しぶりに外に出ました。

車の走り去る音、自転車の呼び鈴、どこからか聞こえてくる歌声・・・

僕は生きているんだと気付かされました。

10年ぶりの外の世界。

 

 

 

青木さんと過ごしたフイリピンでの日々、ボランティア、英語学校、貧しくても笑顔を絶やさずにいる子どもたち、必死に人生をやり直している日本の青少年たち。

 

 

 

一年間様々な人たちとの出会いを通して、僕の体が浄化されていくような体験をしたのです。

 

 

 

1年4ヶ月後日本に帰り働きに行くことができました。

10年間も引きこもっていたにも関わらず、一年と少しの支援で就労につけたことはとても珍しいケースだとのことです。

 

 

 

ありがたいことに、契約社員の話もいただきました。

母が大喜びでした。

 

 

 

思えば、僕の家族に度々の不幸が襲い、僕の家族は二人だけになってしまいました。

そんな中でも母は涙を見せずに必死に働き、僕を育ててくれました。

 

 

 

しかし、僕は大学1年の5月に生きていくことに限界を感じ、不安が強くなり、家から出られなくなりました。

それから10年という月日はあっという間でした。

苦労をかけている母を支えたいとの思いはあったのですが、僕にはもうそんな気力は残っていなかったのです。

 

 

 

1日でも早くお迎えが来てくれればいいのにといつも思っていました。

そんな僕を青木さんが語ってくれた言葉が変えました。

「人生にけっして無駄なことはない、悲しみを体験したなら、そのことで誰かとつながることができる」

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毎日クタクタです。でも働けることは嬉しいです

 

 

身の回りのできることから始めていきました。

最初は寄り添ってくれているスタッフとどこに行くにも何をやるにも一緒でした。

「小さなできた」から「大きなできた」へと支援は変わっていきました。

どこに行くにも、何をやるにも一人で行うようになりました。

 

 

 

そんな支援を朝から晩まで1年と4ヶ月間受け続けてきました。

何をやっても失敗するとの不安が大きかった僕ですが、今は「できるんじゃないか、やってみよう」とまで変わることがてきました。

 

 

 

この4月からフィリピンマニラでの就労支援施設「FLAPPY WINGS」の責任者に任命されました。

朝8時から夜の11時まで働き続け、寝床に入る時にはクタクタです。

でも、「今日も頑張ったな僕」と強い充実感に満たされています。

 

 

 

じぶんの頑張りが店の売り上げに反映するので大変ですが、とても楽しいです。

 

 

まだまだ学んでいくことは沢山あります。

しかし、昨日より今日、そして明日へと僕は大きな希望を持つことができています。

 

明日の為にも今日1日を全力で生き抜いていきます。

 

 

僕は生きていることはいいなと今思えるまでになりました。

生きていることを感謝しつつ楽しんでいきたいと願っています。

 

僕のことを支えてくださっていた人たちへありがとうを言いたいです。

 

35度のマニラからあなたへ。

 

 

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