発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

20年間のひきこもりというニュースに驚いた 大統領

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○ ○アパートまでお願いします。 メーターちゃんと下ろしてよ!!

 

 

 

 

ヒロさんが昨日書いた「臨時ニュース」を読んで僕は驚いたんよ。

20年間、ひきこもっていた。

20年間も。

生まれた子どもが成人式を迎える。

 

 

僕も不登校やっていたんよ。

でも耐えられなかったんよ。

家でじっとしている事が。

 

 

家庭内暴力の原因もそこにあったのかもしれない。

本当は外に出たかったのに、家でじっとしなければならない現実に耐えられなかったんだ。

 

 

 

それにしても、20年間も何もしていないってどういうことなんやろう。

サポートセンターのスタッフに聞いたら支援した人で最長の人は30年のひきこもりの人だって。

 

 

 

一週間でも家でじっとしていたら、気が変になる。

それが30年間。

サポートセンターのスタッフに言わせると、10年以上ひきこもり生活を続けていると精神的な病気になっている確率が高いんだって。

 

 

 

で、サポートセンターで支援できる長期間の人は精神的な病気がない人なんやって。

家にひきこもってるという状況にしても、家族と会話があるかどうかでも違うやろうな。

家にひきこもっていてもインターネットのチヤットなんかで他とやり取りがあればまた違うやろうし。

 

 

 

そんな事をスタッフと話していたんだ。

「その通り。その通り」ってスタッフが相づちを打ってくれたんよ。

 

 

 

昔の自分の事を思い出した。

中学校のときは担任なんかが一生懸命僕の事を気にかけていてくれたんよ。

中学卒業すると何もなくなってしまう。

 

 

 

父親は中学卒業後児童相談所に相談にのってもらっていたり、不登校、ひきこもりの支援をしている団体を調べ上げたりしていた。

で、不登校専門の高校に行かされた。

 

 

 

不登校専門の高校に行ったけど、自分には合わなかったんで、行かなくなった。

すると、次は支援団体に行った、やっぱり効果はなかった。

そして、僕はひきこもった。

 

 

 

父はあきらめずにいろんな団体の事を調べ上げては、僕に勧めたんよ。

でも、もう外に出る気力はのこっていなかったんよ。

そうして、僕のひきこもり生活は始まった。

 

 

 

誰とも交流がない日々がエンドレスに続いていく。

以前、回転寿しに行った特、回るすしを見ていたら、強い不安な気持ちになった。

この回転を止めたい。

 

 

 

止めなければ行けない。

回転寿しのレーンをぶっ壊したくなった。

今思えばエンドレスなひきこもりの日々の事を思い出したんやろうね。

 

 

 

僕は小、中と学校にほとんど行けなかった。

今もその事を強く引きずっている。

クラスでおこる笑い。

僕はそこにいたかったのに・・・

 

 

20年という時間。

一人でいるということ。

僕には想像もできない現実。

 

 

 

すごく辛い気持ちになったんよ。

「わぁーっ」って叫びたくなった。

「視界に入るあらゆるものを徹底的に跡形もなくぶちこわしたい」という強い衝動。

 

 

 

だれが、こんなふうにしてしまったんや!!

返してくれよ、俺の20年。

頼むから、返してくれや!!

 

 

生まれてこなかった方が良かった俺の人生。

俺だけがみんなから見て透明に見えるんやろうな。

俺が死んでも、この社会は何ごともなかったように明日も続く。

 

 

 

責任者、おい、でてこいよ。

頼むから、俺の時間を返してくれ!!!

 

 

 

スタッフが叫んだ!!

大統領、あなたはもう既に歩んでいるんだ。

だれにもそれを止められないんだよ。

 

 

走ってきます。

 

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