発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

程度の悪いアスペな俺、入国管理事務所からの通達 ヒロ

 

f:id:smilehousejapan:20140905151551j:plain

 近くのスーパーで俺と同じシャツ着た奴2人と遭遇、お互いいけてると思ってんだろうな

 

 

サマークラスで頑張って、俺はなんとか3年に進学できたんですよ。

サポートセンター名古屋のスタッフが本当に喜んでくれました。

俺は、スタッフのみんなに頭を下げて、感謝の気持ちを伝えました。

 

 

「私たちが偉いんじゃなくて、ヒロさんが頑張ったんだからだよ」

「ヒロさんのがんばりがなければ、何もおこらなかったんだから」

 

 

なんか少し、わかった気がしたんです。

言葉に表せないけれどね。

少し、大人になった気がしたんだ。

 

 

2014年6月3年生の授業が始まった。

授業が始まったその日、俺は学生課に呼ばれた。

良い話で呼ばれたんじゃない事はわかっていた。

 

 

「ヒロさん残念だけれど、入国管理事務所から、今年度の大学への通学を認めない通知がきたわ」

「・・・」

「どうすれば良いんですか」

 

 

「1日も授業を休まずに選択科目オールクリア」

「これが唯一の条件なのよ」

 

 

無理だ。

程度の悪いアスペな俺には・・・・

万事窮す。

 

 

それ以降の授業の内容は全く頭に入らなかった。

大学から住まいに帰るまでの道のりがいつもより長く感じられた。

見渡す風景がいつもと変わっていたような気がした。

 

 

「青木さん悲しむだろうな。」

「ここまで来たのに、あともうちょっとなのに」

「俺、大学やめなきゃいけねえのか」

 

 

涙が出た。

すれ違う人が、「どうしたの」と声をかけてくださる事に反応する事もせず、泣きながら家路についた。

 

 

「えっ、どうしたの、誰かと喧嘩でもしたの」

小学生のがきじゃあるまいし、あんた、俺の母親か!?

そのまま部屋に入り、ベッドに寝転がった。

 

 

いつの間にか、寝てしまっていた。

夢を見た。

精神的な病気になる前の、母親がいる。

夢の中の母親は笑っていた。

 

父親と並んで、微笑みながら俺を見つめている。

見守っていてくれるようなたたずまいだった。

「俺、だめだった、ごめん」

 

 

そう言うために、近づこうと思った瞬間夢からさめた。

時計は夜の10時をすぎていた。

居間をのぞくと、スタッフが全員俺を見た。

「大変だったね、驚いたでしょう。さあ、ここに座りなさい」

俺が好きなみかんジュースを出してくれた。

 

 

スタッフは俺の異変に気づき、直に大学に赴いてくれたんだ。

 

 

みんな、じっと俺を見つめていてくれる。

わかっている、スタッフたちの優しさを。

いかん、号泣しそうだ。

 

 

「ヒロさん、まだ退学が決まったわけじゃないんだよね。どう、私たちともう一度、頑張ってみない?

「やらなければ、退学がまっているだけ」

「やれば、通学できるかもしれない、たとえだめでも、やらずに逃げだすよりは良いと思うよ」

 

 

「人の6倍やんなきゃだめかもしれない」

「そうかもね、6倍やってみようよ」

「よろしくお願いします」

 

 

俺はその場で立ち上がって、頭をさげた。

涙と鼻水が一緒くたんになって流れた。

 

下記バーナーのクリックにご協力をお願いします。

日本ブログ村に参加しています。

にほんブログ村メンタルヘルスブログ発達障害へ