発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

みんなから嫌われていた俺に彼女ができた、その喜び ヒロ

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3つの嵐。

2つの嵐は大学入学までにさんざん、教え込まれていた。

その対処法まで刷り込むように教えられていた。

 

 

3つの目の嵐。

恋愛

このことが、おれに退学勧告処分を言い渡したんだ。

 

 

彼女さえ作らなれば、こんな目に遭わずにすんだのに。

これも、おっさんのせいだ、あの野郎・・・

ほんとは自分のせいなことはわかっている。

 

 

自分を責めたくないから、誰かに責任転換する。

でも、「あの野郎」と一瞬思ったが、その気持ちはすぐに感謝の気持ちに変わったんだ。

 

 

俺には、節目な出来事がいくつかあった。

アメリカ在住の時、滑り台の順番を待てずに、前の子を押して大けがをさせてしまったこと。

その子には本当に申し訳ないことをしてしまったけれど、たまたま、そこに「発達障害支援」のエキスパートがいたんだ。

 

 

そのことで、俺が発達障害の特別支援を受けられるきっかけとなった。

「青少年生活就労自立サポートセンター名古屋」との出会いは、一言で言い表せない。

俺の人生を変えてくれたんだから。

 

 

いくつかの「社会的ひきこもり」支援のNPO団体でお世話になったが、やはり、徹底的な支援をしてくれるサポートセンター名古屋で、俺は生き返ったんだ。

 

 

軽い不登校や、ひきこもりの人を支援してくれる団体はあるけれど、俺のような重い状況の人たちの支援は、ここでしか受けられないんだ。

 

 

俺の歴史はサポートセンター以前と以後に大きく分かれる。

 

 

フィリピンにボランティアに行った。

 

 

台風で何もかも流されてしまった家の子供が全裸で配給所に来たんだ。

その場で服を手渡した俺の手を離さない。

子供の目を見ると、今にも涙がこぼれ落ちそうな状態だった。

 

 

生まれて、初めて人から「ありがとう」と言われたんだ。

 

 

インターナショナルハイスクールを卒業できたこと。

これも簡単には言えないほど感動した。

 

 

そして、そう、そうなんだ。

「ヒロさん、あなたのことが好きです。つきあって」と言われたこと。

 

 

24年間生きてきて、一番うれしかったこと。

彼女ができたこと。

 

 

俺自身、人間の女性とつきあえるとは思っていなかったんだ。

人間と等身大の人形を買って、名前を付けて、その人形と暮らしていこうと真剣に考えていた俺なんだ。

 

 

だから、彼女ができたことがどれだけうれしかったか。

俺は、散髪に行って、こぎれいにした。

俺のへそくりから、大金を下ろし、「極上のワイン」を買った。

 

ちゃんとした服装に着替え、青木さんとちゃんと約束を取って、挨拶に行った。

青木さんの目を見たとき、涙が出た。

今まで、さんざんなめにあった、昔の俺のことが走馬灯のように思い出されたんだ。

 

 

つらかった 、悲しかった、生きているのが苦しかった。

入水自殺をした俺。

ふと、我に返った俺は、大きな声で叫んだ。

「生きてえ!!」

 

 

周りにいた、スタッフたちも泣いてくれていた。

どんだけ、スタッフの手を焼かせたか。

第3の嵐は最も大きく俺の心を揺さぶった。

 

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