発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害支援 憎んでいた母との和解  MIssG

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発達障害が問題ではないです。」

発達障害でも社会に溶け込み、受け入れられている方は大勢居ます。」

「問題は、鬱に発達凸凹の母とアスペな俺が社会で孤立し、必要な支援をどこからも受ける事ができなかった事なんです。」

 

 

 今しがた、ヒロさんの文章を読んで、すぐに思いを書きたかったので、今書いています。

この文章は私に気づきを与えてくれました。

 

 

 

私の母は鬱です。

元々鬱的な資質を遺伝として持っていたのです。

しかし、父と出会い結婚生活を送る中で、症状がひどくなって行ったのです。

 

 

 

母が発達凸凹かどうかは分かりません。

しかし、父は発達凸凹だと感じます。

父と私とはまともに顔を合わせて向き合った記憶がないのです。

 

 

休みの日は一日中部屋で歴史小説を読むか、趣味の鉄道の写真を取りに行っています。

今、振り返って思うのですが、父には「家庭」というものを必要としてなかったのではないかと思います。

 

 

 

周囲に勧められての見合い結婚で、一児の私を授かりました。

子どもが生まれた事に対して、特別な感情を抱かなかったと母から聞いています。

 

 

幼少の頃の私の写真もほとんどないのです。

もちろん、父は私に対して暴力をふるったり、無視をしたりしたわけではありません。

 

 

 

しかし、父に対して家族という絆を一度も感じた事はないのです。

その事で一番の犠牲は母でした。

母は元々おとなしいタイプでした。

 

 

 

ですから、父が色々と母の事を重んじて行く必要が合ったのです。

結果的には、無視のような状況になり、母は症状を悪くして行きました。

 

 

 

 

その母の怒りの鉾先が私だったのです。

私は母にも父にも甘える事もできずに、育ちました。

心に大きな穴が開いたままです。

 

 

 

母に対して強い憎しみを持ち続けていました。

しかし、今、ヒロさんの文章を読み進めて行くうちに、気づきがあったのです。

 

 

アスペルガーの私と鬱の母はこの社会でどこからも支援を受ける事ができずに、孤立していたのです。

 

 

 

父はきっとアスペルガーでしょう。

父は人との強い関わりを必要としない人なのです。

 

 

 

それは、父が生まれたときから持っていたものです。

それを変える事はできません。

そして、そんな父と鬱の母が結婚してしまった事が、そもそもの問題なのです。

 

 

今、頭の中が、すっきりと整理されました。

 

今、私は思うのです。

 

 

 

母を許そうと。

母は被害者。

私にあたる事で唯一精神の均衡を保っていたのでしょう。

 

 

私は、母から受けるべきものを受け損ねた事を後悔しないと今、確認しました。

もう、母への強い思いは捨て去ります。

 

 

私は、わたし。

残された時間を、この世に私が生を受けた事を確認する為の事に費やします。

 

 

 

何か自分勝手な文章で、皆さんに伝わりにくいかもしれません。

でも、この気持ちを文字に残したくて、ブログを書きました。

 

 

 

 

 

 

ヒロさん、本当にありがとう。

私は、日本に帰って、母にこう言います。

「お母さん、生んでくれてありがとう。」

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