発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害支援 役者は揃い舞台は整った、さあやるぞもう一度 ヒロ

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     この時期毎日夕方にスコールがあります。

 

 

僕はインターナショナルハイスクール、大学1年と無遅刻無欠席でした。誰よりも早く学校に行き、誰よりも遅くまで学校に残り勉強でわからない所を聞くようにしていました。

 

 

 

中学の時「死んでも勉強なんかするものか」と言っていた僕がです。

高校は自分の名前が書けて、入学金さえ払えば誰でも入れる私立の落ちこぼれ救済高校に入りました。

 

 

 

 

それも、分けわかんねえまま、ゴールデンウイーク後に行かなくなりました。

本当、お金を無駄にしてしまったんです。

父ちゃんごめん。

 

 

 

そんな僕がですよ、「勉強が楽しい!!」なんて世の中の誰が想像できますか。

あの、青木さんでも「想像外」だって言っていました。

 

 

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  スコールの後はマニラの濁った空気が清々しくなるんです

 

 

 

中学の時の担任の先生は毎年年賀状を僕宛にいまだに送ってくださいます。

文面の最後は「何もしてあげられなかった先生を許してください」

はっきり覚えていませんが、そんな内容だったと思います。

 

 

「昔の僕と違って、先生、今は頑張っていますよ」って手紙を書いたらと青木さんに勧められました。

しかし、まだ手紙で報告するには早いと思っています。

 

 

 

大学を出てどこかに就職して、初任給をもらって、初めて僕は先生に近況報告を出すつもりです。

「僕は変わりました。今は本当に幸せです。あのときはありがとうございました」こんな文面です。

 

 

 

10年と言う長い期間に渡って、僕という存在が中学の時の担任の先生を苦しめている事に悲しさを覚えます。

「先生が悪いんじゃないんですよ。僕は程度の悪いアスペルガー何ですよ。」

 

 

「どうか先生、気になさらずに!!

こんな風に思えるって言う事は俺自身、自信を持ち始めているんだということでしょうか。

 

 

 

そんな俺が、学校の授業をさぼってしまったんです。

すごいショックでした。

「死んでしまいたい。」そう思いました。

 

 

 

「昔と比較してごらんよ、良くなったんだよ。」

スタッフに気休めを言われても、さぼった事に大きなショックを受けているんです。

 

 

元はと言えば、今年の1月から、大学の授業が受けられなくなった事からです。

入国管理事務所から、「ヒロさんは不適切な者だから、大学で授業を受けさせないよう」にと大学事務所に連絡が来たんですって。

 

 

 

大学側から何か警察沙汰を起こしたのかって聞かれたけれど、「何もしていません」と言いました。

青木さんやスタッフが入国管理事務所に何度も掛け合いましたが、「問題を起こしたので、大学側に警告をした」の一辺倒なんです。

 

 

 

結局1月から5ヶ月間登校禁止処分を食らいました。

神様に誓って、何も悪い事はしていません。

警察と会った事すらもないんです。

 

 

でも、過ぎた事をごちゃごちゃ言っても仕方がねえ。

やるしかないんです。

僕が大学を出る事ができたら、僕自身が良い方向へ大きく変わる。

程度の悪いアスペな俺が中卒のままじゃあ、このせちがない世の中で、その存在すら消されてしまう。

 

 

誰からも必要とされない存在。

それだけは嫌なんです。

誰からも必要とされる存在になりたいんです。

社会が悪いとか、景気が悪いとか、どうせ俺は程度の悪いアスペルガーとか、がたがた言ってんじゃねえよ。

 

 

 

明日の為に、今やるんだ、わかったかあ、ヒロ!!

 

 

 

Miss Keiさん、俺の専属の家庭教師に決定致しました。

フィリピン最強の戦士を俺は手に入れた。

もう何も恐れる事はない。

気を解き放て、亡国の戦士ヒロよ

 

 

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