発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害は成長する!!バード君の場合  マル

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両手を上下にバタバタして小さくジャンプするのです。

 

 

〈バード君〉というニックネームの子を支援しています。

どうして〈バード君〉というニックネームかといいますと、両手を鳥のようにバタバタさせる癖があるので、〈バード君〉と名付けられたのです。

 

 

他にも動作が奇妙なのです。

一緒に買い物などに行って、不安定な気分になると、両手を鳥のようにバタバタさせるのです。

同時に「声も張り上げるのです。」

周りの人から、「障害の子をもつと大変ですね。」と言われることが多かったです。

 

 

「動作が変だ。」と周りから言われたバード君。

丁寧にゆっくりと、何かを指示しても「言っていることがわかりません。」と吐き捨てるようにいつも言っていたバード君。

風邪、腹痛、捻挫、擦り傷が絶えなかったバード君。

 

 

お母さんが精神的に参ってしまいました。

お父さんからも「できたら、センターで預かって育てて欲しい。」と言われました。

 

 

15歳から支援を開始して、今年で22歳になります。

7年間の支援です。

 

 

 

最初の3年近くは大変でした。

目が離せない。

振り回されてばかりでした。

 

 

家を借りて、スタッフ2人と同居となりました。

1人はお母さん役、もう1人はお姉さん役。お父さん役が青木でお兄さん役がヒロさんでした。

 

 

支援場所を日本からフィリピンに変えてから、落ち着きがみられ始めました。

それと同時に色々なことに挑戦する意欲も出てきたのです。

フィリピンではインターナショナルハイスクールに通っていました。

 

 

小、中といじめられて、友達が1人もいなかった彼ですが、フィリピンではたくさんの友達ができました。

友達を家に招きたいと相談を受けて、たこ焼きパーティをしました。

とても好評でそれ以来、毎月パーティは催されました。

 

 

10人程度入ればいっぱいの小さな家に、30人近くの学校の生徒を呼んできたときは、大慌てで、たこ焼きをひたすらひっくり返していましたね。

 

 

色々な思い出があります。

 

 

日本に帰国してからは、1年間アルバイトさせることで、日本の同世代に馴染ませました。

アルバイトができたことは彼には大きな自信になったのです。

 

 

 

そして、学校に入学しました。

当初保護者は、小、中と不登校だったこともあり、日本での学校には賛成してくれませんでした。

 

 

そこを青木が粘り強く、丁寧にお願いして学校に行くことを許可してもらったのです。

 

 

明日に続きます。

 

 

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