〈バード君〉というニックネームの子を支援しています。
どうして〈バード君〉というニックネームかといいますと、両手を鳥のようにバタバタさせる癖があるので、〈バード君〉と名付けられたのです。
他にも動作が奇妙なのです。
一緒に買い物などに行って、不安定な気分になると、両手を鳥のようにバタバタさせるのです。
同時に「声も張り上げるのです。」
周りの人から、「障害の子をもつと大変ですね。」と言われることが多かったです。
「動作が変だ。」と周りから言われたバード君。
丁寧にゆっくりと、何かを指示しても「言っていることがわかりません。」と吐き捨てるようにいつも言っていたバード君。
風邪、腹痛、捻挫、擦り傷が絶えなかったバード君。
お母さんが精神的に参ってしまいました。
お父さんからも「できたら、センターで預かって育てて欲しい。」と言われました。
15歳から支援を開始して、今年で22歳になります。
7年間の支援です。
最初の3年近くは大変でした。
目が離せない。
振り回されてばかりでした。
家を借りて、スタッフ2人と同居となりました。
1人はお母さん役、もう1人はお姉さん役。お父さん役が青木でお兄さん役がヒロさんでした。
支援場所を日本からフィリピンに変えてから、落ち着きがみられ始めました。
それと同時に色々なことに挑戦する意欲も出てきたのです。
フィリピンではインターナショナルハイスクールに通っていました。
小、中といじめられて、友達が1人もいなかった彼ですが、フィリピンではたくさんの友達ができました。
友達を家に招きたいと相談を受けて、たこ焼きパーティをしました。
とても好評でそれ以来、毎月パーティは催されました。
10人程度入ればいっぱいの小さな家に、30人近くの学校の生徒を呼んできたときは、大慌てで、たこ焼きをひたすらひっくり返していましたね。
色々な思い出があります。
日本に帰国してからは、1年間アルバイトさせることで、日本の同世代に馴染ませました。
アルバイトができたことは彼には大きな自信になったのです。
そして、学校に入学しました。
当初保護者は、小、中と不登校だったこともあり、日本での学校には賛成してくれませんでした。
そこを青木が粘り強く、丁寧にお願いして学校に行くことを許可してもらったのです。
明日に続きます。
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