発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

できなかったことをできるようにする支援 程度の悪いアスペな俺

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発達障害と診断された俺。

アスペルガー症候群ADHDを持っていると言われた俺。

 

 

小さい頃から行動や発言が変でみんなから疎まれた俺。

で、2次障害で不登校・ひきこもりになった。

おまけに家庭内暴力で家から追い出された。

 

 

 

勉強ができなかった。

何がわからないのかもわからなかった。

集団行動ではいつも注意されていた。

工作の作品の提出ができなかった。

 

 

とにかく俺の頭の中が混乱していた。

ぐちゃぐちゃだった。

 

 

整理が必要だった。

1つ1つのことを確認しながら整理をしていく。

 

 

例えば、リコーダーが吹けなかった。

吹いてもうまく音が出ない。

俺は俺なりに集中して練習したけれど、「ピィーッ」ていう音がいつも出て嫌になった。

イライラしてリコーダーを2つにへし折ってやった。

 

 

フィリピンでボランティアをやっている時、リコーダーを小学生に配ることになった。

フィリピンでは音楽の時間がないのだ。

 

 

で、リコーダーの楽しみを知ってもらおうと誰かがみんなの前で吹くことになった。

その役は俺に白羽の矢がたった。

 

 

ところが、俺は強い苦手意識があったので辞退したけど、「やればできる。」と言いくるめられて、やる羽目になった。

先生役は青木さんだった。

 

 

人は見かけによらぬもの。

とてもうまいので驚いた。

で、丁寧に優しくゆっくりと教えてもらった。

おっさんは情熱を持っておいらに教えてくれた。

 

 

でも、久しぶりに「ピィッー」となった俺のリコーダー。

それでもやめさせてはくれなかった。

で、頑張った俺。

 

 

3ヶ月後、俺は100人の小学生の前で、おっさんと一緒に二重奏。

低学年の子が立ち上がって、「綺麗な音」と現地語で言った。

 

 

俺、演奏し終わって「気分が悪いので車で休んでいます。」とスタッフに言って引き上げた。

本当は車の中で泣いてしまった。

 

 

俺は心底バカな人間だと思っていた。

みんなが当たり前のようにできることを自分だけができない。

何もかも。

 

 

だから生きていく自信がなかった。

そんな俺がちゃんとリコーダーをみんなの前で吹けたのだ。

泣いてしまうほど嬉しかったんだ。

 

 

俺が感動していたのとは裏腹に、スタッフのみんなは冷めていた。

「ちよっとは一緒になって感動してくれよ。」と心の中で思った。

 

 

そんな俺を見透かして、スタッフが言った。

「みんなができることはあなたもできる。」

「やり方がわからなかったり、焦ったり。『どうせ俺はできないですよ。』とふてくされたりしたら、できなくなるよ。」

 

 

「一生懸命やって、工夫してもできなかったらできなくて良いんだよ。それで自分で納得できるでしょ。 」

 

 

ふふふふふ。

ありがとさんよ。

リコーダーが吹けたよ。

できた!!できた!!できたんだよ。

 

 

 

こんなふうにして、少しずつできるを増やして、自信をつけていった俺なのでした。

 

 

もちろんどんなに練習してもみんなと同じようにはできないこともある。

それはそれで良いのだ。

 

 

 

色々と一度試してみることがとても大切なんだ。

 

 

 

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