発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

ワアッ、みんな外人やんか!!ブン

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写真は香港です。


 

 

 

東大さんが頑張って書いてくれていますので、僕は楽させてもらっていました。

 

 

僕は今、フィリピンのセブ島にありますセブ市の某大学に通っています。

来週から定期テストがありますので大変です。

でもまあ本日は僕がブログを書く事にしました。

 

 

僕は今30前後の年齢の男です。

日本にいる時の状況は、小学校4年生から不登校でそのままひきこもっていました。

 

 

途中で不登校の子どもの為のフリースクールや学校を勧められて見学はしましたが、あまり魅力は感じられなくて、行きませんでした。

 

 

僕が魅力を感じられなかっただけです。

そういった施設や学校を否定しているわけではありませんので誤解のないようにしてください。

 

 

母親は最初は自分1人で僕の問題を解決しようとしました。

母親に全てを聞いたわけではないので、正確にはどんなことを母親がしてくれたのかはわかりません。

 

 

しかし、サホートセンターさんから聞いた話ですと、随分と母親には迷惑をかけたと今は思います。

申し訳なく思っています。

 

 

 

あの当時は不安と混乱の中に居続けていたので、他人の人とコミニュケーションが取れませんでした。

一番身近にいてくれた母親とも、関係は良くなかったです。

 

 

 

母親が僕に何か言う度に怒鳴っていましたから。

それを思い出すと、今は心が痛いです。

ヒロ師匠や大統領先生も僕と同じような気持ちだったことを過去のブログを読んで安心しました。

 

 

いつか母親には、大変な迷惑をかけたことをお詫びしたいです。

 

 

お詫びだけではダメなので、「色々あったけれど、本当に良かったね。」とお母さんの口から言ってもらえるように今、頑張っています。

 

 

「家から出て、今大学に通い勉強しているだけで、お母さんは満足してみえるよ。そんなに自分を追い込まないで、自分が心から楽しいと思えるようにすることが大切なんだ。」と東大さんからなんどもいわれています。

 

 

 

今はそのアドバイスがよくわかるようになりましたよ。

本当にありがとうございます。

 

 

そういえば、僕が支援を受けているこの団体ですが、大きく組織が変わります。

これからは、留学を前面に出して行くそうです。

 

 

海外留学で環境を日本から外国に変える。

コミニュケーションの練習には最適なフィリピンで、もう1度他人と関わることができるようにする。

 

 

それには学校に通うことが1番なのです。

毎日学校に通いながらその中で練習をするのです。

僕にとってはほぼ全員年下です。

 

 

でも不思議と年齢差を感じません。

と言うか、感じさせなくしてくれているのだと思います。

30前後の僕が、今更日本の大学に入学してもただ浮くだけです。

 

 

そう言う意味で、海外ですともう1度やり直すには最適な環境なんでしょうね。

それを見抜いた青木さんはすごいと思います。

支援の「神」だと僕は思っています。

 

 

日本では僕は外に出られませんでした。

不登校の人たちの施設を見に行ったのが唯一です。

それも外に出る決断をするのに随分と時間がかかりました。

 

 

しかし、飛行機に乗って窓から日本が小さくなっていくにつれ、僕の中にある不安が少しなくなったことを感じました。

フィリピンでホテルについて、朝目覚めて窓から外を見たらみんな外人でした。

 

 

 

 

部屋の中には日本語が見当たりませんでした。

ウキウキして、部屋からエレベーターでロビーに降りて、ホテルから外に出ました。

 

 

 

「ワアッ、みんな外人やんか!!」

「日本人おらんぞ!!」

えらく興奮していたのを覚えています。

 

 

「くそっ!!こんなことならもっと早く日本を出るんだったな。」

そんなことを感じたフィリピン初日の朝でございます。

 

 

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