僕は東京大学を卒業した。
そして東大の大学院に進んだ。
しかし、そこで大きな失敗をしてしまった。
僕は学生からとても人気のある研究室に在籍していた。
毎日研究に没頭していた。
やがて僕は失敗をする。
チームを組んで1つの仮説を掘り下げることをしていた。
現場で必要なのは〈報告・連絡・相談〉です。
それは僕に取って一番苦手なことだった。
協調して研究を進めないといけないのだが、他者の足を引っ張ってしまった。
人は失敗したらそこから学べるのです。
しかし、僕は学ぶことができずに、なんども同じ失敗をしてしまう。
そして、僕は研究室から排除されてしまう。
かろうじて、大学院を終了することはできたが、就職に関して、担当教授からの推薦はもらえなかった。
それは、一流企業に就職することを諦めるということだ。
もう未来はない。
希望もない。
ここまで頑張って来たのに。
そして僕の不安は大きくなっていき、ひきこもってしまう。
もちろん、国家公務員試験を受けてみよう。
少しの間、家庭教師のアルバイトでもしてみるか。
色々と考えたけれど、どれも怖くて進むことはできなかった。
大学院での失敗は、失敗のままなんの反省もできずにいたこと。
僕の何がいけなかったのかが、その時わかっていれば、僕は再びやり直す気力が持てたと思う。
ひきこもりは30年近くに及んだ。
30年間、家族以外の誰とも交流はなかった。
家でじーっとしていた。
30年間いつもいつも、どうしてこうなったのかを自問自答していた。
でも、答えは出ない。
答えがでないまま30年間ひきこもった。
親戚が、「サポートセンターが助けてくれるから会って話を聞いて欲しい。」と言ってくれた。
でも、50才を遠に過ぎてしまっていた僕に、なんの希望があるというのか?
気休めな言葉など今更聞きたくはない。
僕宛に来たハガキは読まずに捨てていた。
2週間に一度来るハガキに対して苛ついていた。
親戚が言った。「こんなにまで隆君(僕の本名)のことを心配してくれる人たちなので、一度だけでも会ってくれないか。そうしたらハガキは止めてもらうから。」
ハガキを止めてもらえるならと、僕は会うことにした。
でも、前日から頭が痛くなったり、呼吸がうまくできなくなったりした。
それで、親戚の人に付いてきてもらって、青木に会った。
見た目は暴力団員風でとても怖かった。
そんな風貌にも関わらず、満面の笑みをたたえていた。
それが逆に怪しかった。
「きっと、この暴力団員は僕をうまく騙して、拉致し、東南アジアの裏シンジケートに臓器提供者として送り出すに違いない。気をつけないと。」第1印象でそう思った。
青木の声は見た目と違ってとても爽やかな声だった。
そして、優しく丁寧に話した。
話したというより、僕の話を聞こうとしてくれた。
僕は何も話すことができなかったけれど。
明日に続きます。
ご協力をお願いします
日本ブログ村に参加しています。
いつもご協力をありがとうこざいます。
1位でいると新しい人たちが訪問してくれます。
クリックをお願いします。