発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

不登校の子どもは安全地帯に避難して、ひとつひとつ丁寧に教えてもらうと回復するよ。ブン

 

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僕は小学校から不登校だった。

正確に言えば幼稚園も行けなくなった。

 

 

 

どうして行けなくなったのかは理由がある。

学校が怖かったから。

学校の何が怖かったのかというと、他の生徒のスピードについていけなかったことです。

 

 

集団行動がまるっきりできなかった。

サポートセンターに来て教えてもらったことは、僕はできないんじゃなくて、できるまでに時間がかかる人間なんだということ。

 

 

そして時間を長めにかければ、ほとんどのことができる。

できなかったり、困った時には、助けを求めて良いんだ。

 

 

 

サポートセンターは、時間をかけても僕ができるまで待っていてくれるので、僕はできないんじゃなくて、やり方がわからなかったり、頭からできないと決めつけていたから、余計にできなくなっていたんだということがわかりました。

 

 

 

このことをわかったことが、海外に来て一番大きな収穫だったと思っている。

 

 

 

 

僕はバカだから?

もしかしたら、障害があるのではないか?

どちらにしても圧倒的多数の正常な人たちの前では、僕はゴミでクズな奴なんだ。

 

 

 

そう長く信じていた。

 

 

だからもう何かやろうとする気力も無くなっていた。

 

 

でもそんなのは違っていた。

サポートセンターのスタッフは、それは違うということを立証してくれたんだ。

 

 

 

フィリピンに来てからも、なんどもなんども、僕はスタッフに迷惑をかけました。

 

 

「僕はバカだから、どんなに頑張ってもらっても無理ですよ。違う人の支援をしてあげてください。」となんどもなんどもスタッフさんに言った。

 

 

特に与えられた課題をこなせなかった時は、頭に血が上り、発狂した人のように振舞ったりもした。

 

 

大きな声でわめき、物を壊す。

スタッフさんは、その場を逃げずに、ただ静かにしていた。

 

 

「気が済んだ?心配ないんだよ。ほらお水を飲んで。」と言うと、散らかった僕の部屋を手際よく片付けはじめる。

 

 

 

「暴れたい気持ちはわかるよ。でも暴れたら、後片付けが大変でしょ。どこか怪我するかもしれないし。これからは怒りの気持ちをうまくやり過ごす練習もしていこう。」

 

 

絶妙なタイミングでそういうんです。

 

 

 そして落ち着いた僕は、また課題をこなしていくのです。

 

 

ヒロ師匠が書かれていたブログに同じような場面がありました。

 

 

「どうせ、俺はバカですから、死んだほうが良いんでしょ。死ねと言ってくださいよ。」

 

 

同じだ。

僕と同じなんだ。

 

 

師匠ありがとうございます。

学校に行ってきます!!

 
 
 
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