僕は不登校だった。
というより、ほとんど学校には行けなかった。
小学校4年以降は1日も学校に通っていない。
今僕は、フィリピンで大学に通っている。
小学校に行くことより、フィリピンの大学に行くことの方が難しいと一般の人は思う。
でも、発達障害な僕には、小学校の方が難しく感じられる。
僕はどうして小学校に行けなかったのか?
その理由を考えたら、不登校を防げるかもしれないと思った。
1、たくさんの同じ年代の子どもを見て驚いた。
幼稚園に入園したが、行けなかった。
理由は小学校と同じです。
たくさんの同じ年齢の子どもと出会って、パニックになったから。
幼稚園でそうだったから、小学校入学時にはなんとかできなかったのかって今思います。
小さい頃から、〈療育〉を受けていたけれど、僕にはあまり効果はなかったな。
多分、一人一人にあった療育プログラムが必要なんだと思いますよ。
幼稚園で失敗して、そして小学校でも失敗した。
それから長い時間ひきこもってしまった。
でも、今大学に通っている。
大学の生徒数なんて、1000人近いんだから小学校と比べたらはるかに混乱するでしょう。
でも、僕は大学に行き続けている。
全く問題ないといえば、嘘になる。
音とか目に入る情報とかが、はんぱないほど多いから疲れてしまう。
でも、疲れより、大学に行き続けているんだという自信の方が僕にはとても嬉しい。
サポートセンターに来た時には、小学校4年時と同じ心の状態でした。
それを大学に行き続けられるまでに変えてもらったということです。
毎日毎日、練習をして僕は変わった。
だったら、幼稚園の時や小学校の時にも僕は変わるチャンスがあったはずだ。
あの時、サポートセンターにお世話になれば、不登校もひきこもりも防げたはずだ。
しかし。
青木さんは言った。
「小学生の支援は難しいよ。大人の支援の方がよほど自信があるな。」って。
「でも、小学校入学前に、何かもっとちゃんとした支援をすれば、僕はあれほどまでにはなっていよね。」と聞き直した。
「それは、そうだね。支援をすれば悪くはならない。どこまでよくなるかはわからないけれど。」と言った。
あくまで謙虚な人たちだ。
多分「自信はある。」なんて書けば、支援の依頼が殺到することになるからではないかと、考えた僕です。
まあいいやと思う。
小さい時に色々と子どもが持つ苦手さを教えられたら、親は即行動してください。
そして、その子どもに合わせた支援をしてください。
間違えても、施設にあらかじめ用意されている支援プログラムに、子どもを合わせるのではないのですよ。
サポートセンターが唱えている〈オーダメイドの支援〉が僕のような子どもたちには求められているのです。
だって、僕がその証明ですからね。
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