発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

アスペルガーと診断された僕の困りごと ブン

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僕は長いこと悩んでいた。

悩んでいたことの正体がなんなのかもわからなくて、それも悩んでいた。

頭の中にはたくさんの「?」がぎっしりと詰まっていた。

 

 

(わからない。)

 

 

どうして、僕は勉強ができないのかが、わからなかった。

もっと正確にいうと、学校の授業を一生懸命聞いているにも関わらず、先生が言っていることが理解できないまま、授業だけが前へ前へと進んでいく。

 

 

 

それがとても辛かった。

 

 

先生が、黒板に書く内容を一生懸命ノートに書き写すんだけど、先生の字が下手クソだったし、行が斜めになっているのがどうにも許せなくて、そんなことを気にしていたら、自分自身ノートに書き写せなくなってしまった。

 

 

とてもとても辛かった。

 

 

 

ほんというと、僕の字もとても汚いので、後から自分が書いたノートを見ても何を書いているのかがわからなくて、もっと落ち込む。

 

 

 

それとノートに印刷されている行の間に書くのがとても苦手だった。

僕にはできなかったんだな。

 

 

 

もうどうしたら良いのかがわからない。

でも時間だけは過ぎていく。

小学校の学年だけが自然と上がっていく。

 

 

僕には<できない><わからない>がどんどん増えていく。

 

 

 

授業だけじゃない。

 

 

 

放課の時間にみんなと何を話せばいいのかわからなかった。

だから、いつも黙っていた。

そしたら、誰かが「ブンは何も話さない。変な奴だ。」と言った。

 

 

 

それから、クラスみんなの僕への態度が変わったと思う。

みんなから、仲間外れにされていく僕。

そんなことは、望んでいないのに。

 

 

 

みんなと仲良く楽しくやりたいだけなのに、みんなは僕を排除した。

それが、とても悲しかった。

 

 

席替えとか、遠足や社会見学でグループ分けの時間はとても辛かった。

今、思い返しても、恐怖が付きまとう。

(みんなから嫌われていた僕は、死なないといけないんだ。)とずーっと思っていた。

 

 

 

そんな恐怖から逃れるために、学校を休むしかなかった。

 

 

支援されている今でも、時々手が震えたり、トイレから出られなくなったり、シャワーを浴びていたら、後ろから誰かに刺される気がしてとても怖い。

 

 

 

長い間、混乱しかなかった僕の人生。

生きていて、楽しいことなんか何もなかった。

 

 

 

早く死んで、この気持ちから逃げたかった。

 

 

 

こんな話をサポートセンターのスタッフに話したら、黙って聞いてくれていた。

スタッフは少し泣いていた。

 

 

 

こんな話を誰かにしたのは、初めてだった。

誰もこんな話をちゃんと聞いてくれないと思っていたから。

 

 

 

誰かに話しても、「強くならないといけないよ。」そんな言葉で片付けられるのがもっと怖かったから。

 

 

 

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