私が日本で支援している青年の話です。
彼が、今通っている学校で、非常に良い成績を取ったのです。
そして彼は私の前でこう言ったのです。
「マルさん、僕はもう大丈夫だと思います。自信がつきました。」と。
彼の口からそんな言葉がこんなに早く出るとは思ってはいませんでした。
すぐに全てのスタッフに伝達しました。
彼からは「良い話なのでブログで取り上げてもらっても良いです。」と了解をもらっています。
もちろん、個人が特定されないように配慮しています。
まずは彼のことを紹介していきます。
彼は中学の時にアスペルガーと診断されています。
小学校と中学校はほとんど通学できていません。
理由は
1、先生が黒板に書くのが早すぎ、消すのも早いのでついていけない。
先生は話しながら書くので、どちらに注意を向ければ良いのかわからなかった。
2、先生の話がよく聞き取れない。
だから、提出物などが期日までに出せなくて、いつも注意を受けていた。
3、友達が欲しいので、積極的にクラスの同級生の輪の中に入っていくが、いつもみんなから無視されていた。
4、球技や体操が全くできない。
体育の時間に先生から、「前に出てみんなの前でやってみなさい。」と悪い例として使われた。
5、匂いに異常に敏感。
冬は締め切っているので、給食後の教室にいることができなかった。
中学3年時にご両親からご相談を受けました。
中学3年時には、全く学校に行くことができなくなっていました。
そして、5階の自宅マンションから飛び降りました。
幸い下に植え込みがあり、骨折程度ですみましたが、両親は強いショックを受けて、私たちに支援を依頼されたのです。
私たちが訪問しても会えませんでした。
部屋のドアに鍵をかけていました。
子どもの気分転換のために、住んでいた場所から遠く離れた街に引越しをしてもらいました。
ドアには鍵がついていない物件を選んでもらいました。
青木が訪問をしていました。
両親と一緒に食べることや、親が作ったご飯を食べることができなくなっていましたので、本人の希望でコンビニのお弁当を買って子どもに渡していました。
その役目を青木がすることで、なんとか接触できないかと考えたのです。
いつもはコンビニ弁当でしたが、青木は高島屋の地下食料品売り場で、お惣菜を詰めてもらって持参していました。
青木の分も持参して、彼に一言断って、彼の部屋の前で夕食を食べていました。
しかし、1ヶ月、2ヶ月たっても何も変化はありません。
ただ、コンビニ弁当を食べ残すことはありましたが、高島屋で買ったおそうざいはいつも完食していました。
青木が忙しくなり、しばらく行けない日がありました。
そのあいだは、母親が近くのコンビニで買ったお弁当を渡していました。
しかし、一口手をつけただけで、食べていないのです。
体調が悪いのかと心配した母親は、息子さんに「お腹の調子でも悪いのか」と聞きます。
帰って来た言葉は「まずいからいらん。」でした。
そして続きの言葉があったのです。
「サポートセンターの人は、今度いつ来るんだ。」
お母さんから、この報告を聞いた青木は、飛行機がセントレア空港に着いた後に高島屋に直行して高価なケーキを買って訪問したのです。
「僕の持って来た弁当を気にいってくれてありがとう。」
「今日はケーキを買って来たよ。できたら一緒に食べたいな。」
しばし沈黙がありました。
そして彼が初めて口を開けて言葉を発してくれたのです。
「僕どうすればいいですか。中学に行っていないし、高校も怖くて行けない。」
「ありがとう。正直な気持ちを言ってくれて嬉しいです。大丈夫だよ。みんなに追いつけるし、追い越すこともできるから。そんな先輩たちがたくさんいるからね。」
この時から、彼への支援が始まったのです。
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