「僕がフィリピンに帰るのはいつですか」と50代男さんから、問い合わせの電話が日本の事務所に入りました。
受け取ったスタッフからは「後のフォローをよろしくお願いします。」との伝言がフィリピンサイドにありました。
「もう無理なんです。辛いんですよ。」と普段は無口な50代男さんが、涙を浮かべながら僕と青木に訴えていたのは、4月下旬です。
その場に僕もいてはっきりと見たのです。
僕は直ぐに日本のスタッフに電話を入れました。
話を聞いたスタッフの口から、直接聞きたかったのです。
「他に何か言っていませんでしたか。」
「それでは言った通りに言いますね。」
「まず話す前に、深呼吸をされました。そして『青木さんいますか』と言いましたので、青木は当分帰ってきませんよ。フィリピンで忙しくしていますから。と言いました。『僕がフィリピンに帰国するのはいつですか』と聞いてきました。」
「青木からは、なんて聞いていますかと聞きましたら、黙ってしまいました。もう一度、青木からは、いつフィリピンに帰るのか聞いていないのですか?それでしたら
、青木に電話させましょうか」『いいえ、結構です。また電話しますから。』と言って電話を切られましたよ。」
僕は重ねて聞きました。
「どんな感じでしたか?」
「元気がなかった感じです。」
電話を切ってからも僕は納得がいかなかった。
「東大さん、僕は暑いのが苦手なんです。暑くて、暑くて、辛いんですよ。」
「それと、ミニストップもローソンもありますけれど、おにぎりも焼きそばパンも置いてないじゃないですか。食べられないのが辛いんですよ。」
辛いことが随分ある50代男さん。
「東大さんは辛くないのですか?」と突然聞かれて、なにも答えを用意しておかなかった僕は黙ってしまいました。
「僕は、すんき漬けが大好きだ。つぶあんのぜんざいも大好きだ。日本のインターネットは爆速なのでとても嬉しい。日本ではなにを食べても美味しい。お金がなくても美味しいものが食べられる。フィリピンから帰って直ぐにコンビニに行くと、1時間でもいられるな。日本は素晴らしい国だ。」と青木さんが熱弁を振るった。
「でも、もう日本に帰るよりもここにいたいと最近感じ始めている。すんき漬けがたべられなくても、爆速のインターネットがなくても僕は生きていける。でも、人との関わりがなくなったら、僕は生きていけない。ここフィリピンでは人との関わりが日本に比べて簡単にそして深く持てるんだ。」
「少なくとも、僕はそう感じている。日本が嫌いなわけじゃないけれど。」
青木さんが話している最中でも独り言のように「辛い。辛いな。もうだめだ。」を繰り返していた50代男さん。
その彼が、もう一度フイリピンに帰ろうとしている。
「今度フィリピンに行くのはいつですか」ではなく「今度フィリピンに帰るのはいつですか」と言った。
50代男さんにとって、フィリピンは帰る場所なのです。
フジテレビ のドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』では、日本を脱出した2人の男性を追った『黄昏れてフィリピン ~借金から逃れた脱出老人~』を、26日(13:40~ ※関東ローカル)に放送する。
青木から、この番組を見てくださいと宣伝をお願いされました。
「フジテレビはフィリピンまで来て取材をしているし、フィリピンの事を正しく伝えようとしている水谷竹秀さんが(元日刊マニラ新聞記者)が制作に関わっているので、いい加減な番組ではないかと思います。」
「日本でうまく生活を送れなかった人たちが、フィリピンに来て、なんとか、もう一度やり直したいと悪戦苦闘している姿が紹介されます。」
「もちろん、自業自得と一言で言ってしまえば、それまでです。」
「私たちは、彼らの生き様を肯定しているわけでもありません。」
「しかし、頭ごなしに否定するだけではなく、何かを感じとっていただければと願います。」
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