僕の心の中には母親、なくなった祖母、父親に対しての怒りや憎しみが渦を巻いていた。
時々、昔の嫌な出来事を思い出す。
机を拳で叩く。
空中に拳を突き上げる。
「消えろ!!消えるんだ。てめえたち。」
大きな声で、そう叫ぶ。
時には涙が出てしまう。
「頼むから、俺の視界から消え失せてくれ!!」
自分の気持ちをコントロールできなかった6年前。
そんな状態のなか、僕に対する支援が始まった。
支援を受けたのだけれど、その中身を詳しく思い出せない。
ただ、スタッフとのやりとりが毎日のように行われた。
スタッフは僕に質問をしてきた。
過去のことを順番に関係なく、思い浮かんだところから話してくださいと言われた。
僕が一方的に話しただけで終わった日もあった。
話し終わった後に、スタッフが質問をすることもあった。
それは、詳しく聞いてきたり、短く質問をしてくることもあった。
そんな状況を続けていった。
時には、何も思い出したくなくて、中断してもらったことも何度かあった。
もちろん、大学に関しての試験の時には、その作業も中断した。
半年近くなる頃には、断片的なことしか思いつかなかった。
そしてある日、「もう言いたいことは何もない。」とスタッフに告げた。
そして、2週間近くその作業はお休みとなった。
2週間後。
レギュラーで僕の支援をしてくれる人と、もう1人初めての人が作業に加わった。
あとでわかったけれど、2人とも分担が違った。
1人は45分の作業時間をリードしていく。
もう1人は、補助的な立場で作業に加わっていた。
しかし、そのコンビネーションは完璧だった。
あとで考えたけれど、この2週間は徹底的に次の段階を準備する期間に当てられていたんだと思った。
2段階目の作業は僕がどう感じたかと言うことに焦点が当てられていた。
小学校でうんちを漏らした時。
クラス対抗球技大会に参加しないでとみんなから懇願されたこと。
授業中、気持ちが悪くなってゲロを吐いてしまったこと。
クラスの席替えで、自分の机が廊下に出されたていたり、トイレに置かれていたこと。
もう一度、リアルに思い出すことを要求された。
うんちを漏らした時のことを色々と細かく聞かれた。
スタッフは頭がおかしいのかと一瞬思ったけれど、この人たちはこんなことを何十年間もやってきているわけだから、とにかく信じようと思った。
しかし、忘れ去りたい嫌な思い出をもう一度リアルに思い出す作業はとてもつらかった。
大変だった。
しかし、そんな作業のなかで、色々と聞いてきたスタッフたち。
それは西暦何年のことですか。
用意された3つのでかいホワイトボードには僕の年表が書かれていた。
小学校の時。
中学校の時。
高校中退した時。
ひきこもった時。
なんとかなるかもしれないと、もう一度頑張った時。
長いひきこもり時代。
耳から入る情報をうまく認知できない僕は、ホワイトボードに書かれていることと、机に並べられた、「僕」「母」「父親」「祖母」「クラスの同級生」「世間」と書かれたカードを見ることがとても理解しやすかった。
そして、スタッフの優しい語りかけに、自分の心がうまく引っ張られていることに気づいたのです。
明日に続きます。
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