僕は母親を憎んでいた。
心の底から憎んでいた。
理由?
母親のくせして、自分の子どものことを理解できなかったこと。
理解しようと努力したけれど、その結果理解できなかった。
なら、まだいいんだ。
理解しようとしていたそぶりも感じなかった。
母親に対して苛立った色々な記憶がある。
1、母親と祖母とがいつも僕のことで喧嘩をしていた。
僕のことを心配して、それで衝突したというならまだわかる。
「お孫さんはどうしていますかと聞かれて、私はなんて答えればいいの。」と祖母が母親に噛み付く。
「恥ずかしくて、お友達にも会えないわ。」
(頼むから、僕に喧嘩の内容が伝わらないように、どこか他の場所で喧嘩をしてくれ)といつも思っていた。
もしその時、僕の手に凶器があれば、迷わず実行していただろう。
2、学校からの僕の様子を伺う電話にでた母親。
話している最中、やる気のない返事。
「はあ。そうですね。はい。」
最後は「登校させるようにします。ご丁寧にありがとうごさいました。」
会話が終わって、受話器を戻す時の音で、苛立っているのがわかるんだ。
そして、こう言う。
「あんたのせいで、また学校から電話がかかってきた。今度からあんたが出て。」
そうして、バタンとドアを閉める。
3、走り書き。
「私はもう疲れたので、あんたの世話はしたくない。自分で勝手にして。」
と台所にメモがあった。
殴り書きだった。
そして、色々な食材が床に散らかっていた。
4、僕を知的障害者の人たちと同じ作業所に通わせようとした。
僕はそう見られていたことに驚き落胆した。
しかし、スタッフと話している中で、「知的障害の人への支援は歴史が長くて、充実している。」
「ひきこもり支援の施設はまだ歴史が浅いので、そういう意味で、知的障害者支援施設が、かならずしも効果がないとは言えない。」と言われた。
しかし、それならそんなふうに付け加えて僕に説明をするべきだった。
いや、そんな深いところまで両親は考えることはできなかったと思うな。
こんなふうに、頭の中にある怒りをスタッフにぶちまけていました。
それをスタッフは冷静に客観的に、もう一度僕に説明してくれたのです。
僕は長い間、両親に対する怒りを持ち続けていた。
そのことで、何もできないと感じたこともあった。
そのモヤモヤとした感情を持ち続けていることが嫌でしょうがなかった。
その忌まわしい過去をどうすれば良いのかをスタッフは丁寧に時間をかけて教えてくれた。
そのことを次回書きます。
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