昨日の記事はとても反響が大きかったです。
10人近くの人たちからメールやお電話でコメントをいただきました。
コメントを下さったみなさん、ありがとうございました。
ほとんどの方が下記の箇所に教えられたと書いてくれていました。
要は親の考え方1つ。
育ちが遅い僕のような子どもは、「30才で自立をさせる。」と親が決めてしまえば、何も不安になることもないわけです。
周りの人たちと比べるから良くないのです。
僕は、僕なりの成長が必要だったのです。
青木さんからも、「そう言うことなんだよね。」と短くコメントをもらいました。
僕が支援を受けて、自分のことをそのように思えるようになったことはとても大きいのです。
昨日の記事にもう1つ付け加えたいことがあります。
僕はみんなと違うのです。
感じ方も捉え方も30人近くのクラスのみんなと違うのです。
もちろん30人みんなそれぞれ違います。
僕の場合はその違いがとても大きかったことなんじゃないかなと思うのです。
そんな僕が、他のみんなと一緒に机を並べて勉強したり、集団生活を送ること自体がとても無理なことだったのです。
それで、僕は自分の肯定感を失います。
それどころか、自殺未遂を起こすまでに追い詰められてしまうのです。
ですから、もう一度子育てをやり直すとしたら、小学校に上がる前に、基本的なことを徹底的に擦り込むように僕に身につけさせる必要があるのです。
集団生活にある程度適応できるようにしておかなければなりません。
それをせずに、そのまま小学校にいかせてもうまくいかないのは当たり前です。
では、それを誰がやるのか。
残念ながら、国はそのようなケースの子どもたち向けの施策を出していません。
今の時点では、親がそのことを考えて、そのような支援をしてくれる場所を探すことが必要だと思います。
もちろん、それには費用もかかるでしょう。
個別での支援しかないと思うので、金額も大きいと思います。
とにかく、目の前の悩んでいる子どもに適応した教育が必要なのです。
それは青木さんたちが言っている〈オーダーメイドの個別支援〉と言うことだと思います。
発達障害の子どもたちの支援の行き着く先は〈オーダーメイドの個別支援〉だと僕は思います。
それこそが、僕が受けてきた支援なのですから。
さて、僕には解決しなければならないもう1つの問題がありました。
それは親との関係です。
親が探してきてくれた施設は、知的障害の人たちを支援する施設だった。
「ここで、ゆっくりやってみたらどうなんだ。すでにお母さんと一緒に下見をしてきた。職員の人たちは、とても優しかったし、頑張れば仕事だって、紹介すると言ってくれたよ。」
父親の話を遮るために、思いっきり足で壁を蹴った。
本箱を持ち上げて、ドアに叩きつけた。
「俺は、知的障害者か?」
「違うだろ。ふざけるな。」
ありったけの怒りをぶちまけた。
「両親を殺してやる。」と僕は誓った。
親が僕のことを思ってくれていたのは事実です。
しかし、それはあまりにも僕の現実とは異なった認識でした。
ずれているのです。
あまりにも大きくずれているのです。
そこらへんの僕の葛藤を書いてみたいです。
僕は、頭の中にあったもやもやとしたことをはっきりとさせてきました。
自分のことをよく知りたかったし、親との関係をもう一度冷静に考えてみたかったのです。
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