発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

できないことが山ほどあっても、幸せになれるんです。大バカ野郎

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小、中とクラスのみんなについていけなかった。

同じ年齢の人と比べて、できないことが山ほどあることがわかった僕。

 

 

 

小、中の時。

ついていけないと感じた。

これから先は、もっと大変になって行くんじゃないかと想像したら、もうパニックになった。

 

 

 

パニックになると、呼吸ができなくなる。

 

 

クラスの中に、見るからにふざけた感じの奴がいた。

服装も僕と同じで、だらしない。

仲間と思いたかった。

 

 

しかし、それでも僕よりもっと勉強ができた。

集団行動でも、わざとふざけて、クラスのみんなに笑いをサービスしていた。

だから、いい加減なところがあっても、クラスや担任はその子を受け止めていた。

 

 

 

しかし、僕は単にのろま。

単に勉強ができない。

 

 

ふざけている訳でも、学校の制度に反対して、勉強を放棄している訳でもないのに。

(小学校の時に、『学校という制度に反対しているので、勉強はしません。』という児童がいた。)

 

 

それがいいかどうかわからないけれど、僕はなんの理由もなく、ただ勉強ができなかった。

それはとても恐ろしいことでした。

 

 

 

勉強もできない。

運動もできない。

集団行動もできない。

みんなの会話の中に入って行こうとしたけれど、会話がみんなとうまくできなくて、諦めた。

 

 

 

服装もだらしなかったな。

 

 

 

今でも思い出すだけで、また少しフリーズになる感じがする僕です。

 

 

 

あの、それで、「僕のような変な人たちが、今まで支援した中でいましたか。」と支援が始まった5年前に青木さんに、恐る恐る聞きました。

 

 

 

「ほとんどの人が、似たり寄ったりだね。」ということでした。

驚きました。

「じゃあみんな、死んでしまいたいとか、思っていたんですかね。」

 

 

 

 

「そういう人は多いよ。」

 

 

 

「僕だけではないんですか。」

「君だけじゃないね。」

 

 

 

「あの、美術も工作も何もかもダメなんですよ。もう死んでしまいたいと何度思ったか。」

「大丈夫だね。僕も同じレベルだよ。」

 

 

その答えに驚きました。

 

 

つまり、代表の青木さんはなんでもできるスーパーな人ではなくて、何もできないけれど、それでも生きていけることを、僕らのような答えを探している人たちに示している人だったんです。

 

 

絵が恐ろしく下手でも、ラックが組み立てられなくても、片付けができなくても、大丈夫!!

 

 

 

大丈夫。

幸せになれるんだよ。

僕は、「死ぬしかない。」と考えていた。

 

 

でも、そんなこと考えなくてもいいんだよ。

 

 

 

それでも社会で生きていくために、最低やれた方が良いことはあるんだよ。

それはまた明日書いてみます。

 

 

 

 

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