発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

できないことが多すぎな僕。大バカ野郎

 

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ひきこもっていた。

15年間もひきこもっていた。

15年間、家でじっとしていた。

 

やることといえば、インターネットで無料のエロ画像を探したり、2チャンネルで、韓国を叩いている人たちの意見を見たりしていた。

 

 

見ているだけではなく、自分も過激な発言を投稿していた。

この時期はインターネットに支配されていた時代。

 

 

 

結局、現実に向き合えない。

現実を見たくない。

 

 

 

その理由から、インターネットの世界に没頭していた。

今考えたら、全く無駄なことをした。

僕の場合は、憂さ晴らしでしかなかったから。

 

 

 

この時期は思い出したくもない。

悲しみの感情しか湧いてこない。

ひきこもりなんかするもんじゃない。

 

 

 

喜んでひきこもっている人なんていない。

僕はそう思う。

 

 

 

もう1つ書くとしたら、僕は、恐ろしく不器用な人間。

誰かがブログで書いていたな。

〈ラックが組み立てられない。〉って。

 

 

同じだな。

僕もさっぱりできない。

 

 

小さい頃、同じ年の連中はフィギュアとか組み立てていた。

僕も欲しかったので買ってもらったけれど、うまく組み立てられなかったので、イライラして、床に叩きつけたことがあった。

 

 

組み立て系、分解系はダメだ。

全くだめ。

みんなができることが、僕にはできないのでとても悲しかった。

 

 

小学校、中学校で授業があっても何も組み立てられなかった。

「美術は?」

「はい、幼稚園児レベルです。」

 

 

 

フィリピンの大学で絵を描く授業があった。

なぜかフィリピン人はみんなとてもうまかった。

僕も気を取り直して、「一生懸命描けばそこそこ描けるんだ。」と自己暗示をかけた。

 

 

 

しかし、数分で幼稚園児レべルから脱していないことが明白になった。

嫌な汗が背中をつたっていく。

 

 

 

「お腹が痛い。」と言って中断する。

小学校、中学校の時の得意技を思い出す。

 

 

 

しかし、変に自信をつけていた僕は、描いた絵を提出した。

 

 

3日後、先生に呼び出された。

先生の個室には僕しかいなかった。

 

 

先生の机の上には、僕の描いた絵がむぞうさに置いてあった。

 

 

先生は一言、言った。

 

 

「どうして、ふざけたの?」

「私は怒りに満ちてしまい、他の先生にあなたの印象を聞いて回ったわ。」

「どの先生も、『あなたほど真面目な生徒はいない。』と言っていたわ。」

 

 

 

「私に対して、何か不満がありますか。」

「はあ」と僕は大きくため息をついた。

 

 

 

どうしようもできない。

ただ、無力感を感じた。

 

 

 

「先生、僕のことを知って欲しいのです。説明するので、1時間ほどください。」とお願いした。

 

 

 

来週お会いする約束をとった。

 

 

 

大変だな、僕は。

「困っていることは何ですか。」とサポートセンターのスタッフは聞く。

 

 

 

「絵が恐ろしく下手です。」

 

 

それが僕の答え。

 

 

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