発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

何をやってもダメな僕はアスペルガー。大バカ野郎。

 

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意識を少し取り戻した。

たくさんの顔が僕を覗き込んでいる。

 

 

「◯◯高校の生徒だよ。」

「学校に電話しなきゃ。」

「おい、大丈夫か。痛いところはないか。」

 

 

その声が薄れていく。

 

 

次ぎに意識が戻ったのは救急車の中。

救急隊員が僕に何かを話しかけている。

何を言っているのかはわからない。

海の中にいるような感じで聞こえる。

 

 

 

でも、とても平安を感じていた。

自分は死んでいくんだなとその時感じていた。

 

 

 

完全に意識を取り戻したのは、病院のベッドの上。

僕が意識を取り戻したのを母親が気づいた。

「◯◯!!」と母が叫んだ。

 

 

「どうして?」という言葉のあとは泣き崩れていた。

 

 

 

母には悪いが、「死んでしまいたかった。」

また、あの苦痛の日々が始まるのかと思うと、僕自身が泣いた。

 

 

 

結局、病院には2日間入院して、自宅に戻った。

母親には、「担任にも教頭先生にも会わないから、来させるんじゃない。来たら2回目の自殺をする。」と言った。

 

 

 

母親は、僕にも聞こえるように大きな声で、担任に報告を電話で入れていた。

 

 

結局、僕はそれ以来、高校にはいかなくて、退学手続きをした。

 

 

退学してからはひきこもった。

でも退学してからは、在学中より明るくなった自分がいた。

 

 

 

その後、高卒認定試験に受かったあと、大学受験を目指した。

 

 

同世代から遅れてしまうことがとても怖かった。

これ以上離されてしまったら、もう追いつけないことはわかっていたから。

 

 

 

しかし、みんなが行っている高校に行っていない自分の存在を否定する自分がいた。

誰もが普通に行けている高校に、僕は行くことができない。

 

 

考えれば、考えるほど、昔の失敗した思い出が顔を出す。

小学校の遠足で迷子になったこと。

 

 

ぼーっとしていた僕は、すれ違った違う小学校の集団についてしまっていた。

気がついたら、自分の小学校じゃない。

 

 

違う小学校の先生から「◯◯小学校の子でしょ。今から一緒にバスを探してあげるから。」と言われた。

 

 

自分の小学校に合流したら、クラスの男子から、足で蹴られたり、唾を吐かれたりした。

「お前なんか学校に来るんじゃない。邪魔だ。」と言われたことをよく覚えている。

 

 

自分でも、自分の存在は邪魔だと思った。

でも学校を休むと、母親がとてもうるさく言ってくるので、学校に我慢して通った。

 

 

小学校3年の時に大失敗をしてしまった。

お腹が痛かったけれけど、小学校のトイレで大きな方をすることができなかった。

もし、クラスの同級生にバレたら、ひどくいじめられるから。

 

 

それで、急いで小学校の体育館にあるトイレに駆け込んだ。

そうしたら、不良の上級生がトイレでタバコを吸っていた。

その中を通って便所に駆け込んだ。

 

 

 

駆け込んだら、捕まえられて、殴られたりした。

そしてとうとうちびってしまった。

「このバカ、くそを漏らした。」とまた僕を殴ったり、蹴ったりした。

 

 

僕は泣きながら、家の方に歩いて行った。

 

 

玄関で泣いていたら、母親が「どうしたの。あら臭いわね。うんち漏らしたの?どうしておトイレでしないの。ダメな子ね。」と言って、僕を叱った。

 

 

僕は、パンツにうんちを挟んで、1キロ近くを歩いて帰ってきた。

すぐに下着を交換して、お風呂で洗いたかった。

しかし、母親は延々と僕を叱り続けた。

 

 

 

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