小、中、高、大学と僕は失敗らしい失敗をしてこなかった。
大学院生となり、研究室の中で、日々テーマに基づいて研究をしていた。
その時の仲間との関わり合いで初めて、大きな失敗を僕はした。
与えられた研究の結果をだせなくて、周り全体に迷惑をかけてしまった。
毎日コツコツと研究をしてデーターを蓄積していけばそれで問題はなかった。
ただ、僕は与えられた課題の優先順位がつけられなくて困ってしまった。
次から次へと順番に廻ってくる他の研究生たちのデータ。
それらは処理しきれずに僕の机に溜まっていく。
仲間が「たいへんだね。手助けするよ。」と助け舟を出してくれたが、僕は断った。
差し出された手を、掴むことを1度もしてこなかった僕です。
全てここまで自分でやってきた自負が僕にはあったから。
助けを求めるのは、負けだと自分で思い込んでいた僕です。
そして何を思ったのか、自分が1番関心がある箇所のデーターだけを深く掘り下げていった。
それで、任せられた全てのデーターを期日までに提出することができなかった。
「あなたのやっていることの意味がわからないですね。言われたことをやらずに、自分の判断でやってしまった。あなたはチームワークということがわかっていないのですね。」
いつもは優しい教授が吐き捨てるように、僕に話した。
怒りを抑えてはいたが、震える手にその怒りがどのくらいなのかは僕にでもわかった。
他大学を出し抜けるような研究発表を、僕のせいで台無しにしてしまったのです。
僕は、母にこのことを報告した。
母は翌朝1番に研究室に押しかけ、息子の僕の謹慎を解くことと、大学院終了のお願いと一般企業への推薦をお願いした。
電話や手紙、はたまた知り合いを使って教授にお願いした。
僕は大学院を終了できた。
しかし、企業への推薦状はもらえなかった。
そして30年間ひきこもることになる。
何が原因なのか。
僕はこの先どうすれば良いのか。
30年間でなんどもなんども繰り返し自問自答してきた。
5年前にサポートセンターの支援に繋がった。
繋がったというより、繋げてもらった。
30年間ひきこもっていたにも関わらず、それでも僕のプライドだけは錆び付いていなかった。
平身低頭。
サポートセンター代表の青木が、僕に頭を下げてこう言った。
「あなたは人を助けることができる人です。どうか信じて僕に付いてきてください。
たくさんの人たちを助けるお手伝いを一緒にしませんか。」
それからの人生、全てが変わっていく。
毎日、毎日、これでもかというほどの量の仕事を任せられる。
そして僕は失敗を毎日していく。
これでもかというほど失敗をしていく。
会社なら一発で「明日からもうこなくていいよ。」といわれるだろう。
「今まで何をしてきたの。」とも言われるかな。
「お前みたいなのを役立たず。給料泥棒というんだ。」こんなふうに言われた人がサポートセンターで支援を受けていましたね。
しかしここは会社ではない。
いくら間違えても大丈夫。
僕は間違えたことで、次はうまくできるようになっていった。
僕たちのような程度の悪いアスペルガーの人たちは、失敗することで学ぶのです。
学んだことは次からうまくやっていけるのです。
そのように僕たちは学ぶのです。
社会にはもう一箇所、失敗して学ぶことができる場所があります。
失敗が許される場所です。
それは、小学校、中学校、高校、大学です。
明日は学校の先生へのお願いと題してブログを書いてみたいです。
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