発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害な君への失敗のすすめ。東大

 

 

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小、中、高、大学と僕は失敗らしい失敗をしてこなかった。

 

 

 

大学院生となり、研究室の中で、日々テーマに基づいて研究をしていた。

その時の仲間との関わり合いで初めて、大きな失敗を僕はした。

 

 

与えられた研究の結果をだせなくて、周り全体に迷惑をかけてしまった。

毎日コツコツと研究をしてデーターを蓄積していけばそれで問題はなかった。

 

 

 

ただ、僕は与えられた課題の優先順位がつけられなくて困ってしまった。

 

 

次から次へと順番に廻ってくる他の研究生たちのデータ。

それらは処理しきれずに僕の机に溜まっていく。

仲間が「たいへんだね。手助けするよ。」と助け舟を出してくれたが、僕は断った。

 

 

 

差し出された手を、掴むことを1度もしてこなかった僕です。

全てここまで自分でやってきた自負が僕にはあったから。

助けを求めるのは、負けだと自分で思い込んでいた僕です。

 

 

そして何を思ったのか、自分が1番関心がある箇所のデーターだけを深く掘り下げていった。

 

 

それで、任せられた全てのデーターを期日までに提出することができなかった。

 

 

「あなたのやっていることの意味がわからないですね。言われたことをやらずに、自分の判断でやってしまった。あなたはチームワークということがわかっていないのですね。」

 

 

いつもは優しい教授が吐き捨てるように、僕に話した。

怒りを抑えてはいたが、震える手にその怒りがどのくらいなのかは僕にでもわかった。

 

 

他大学を出し抜けるような研究発表を、僕のせいで台無しにしてしまったのです。

 

 

 

僕は、母にこのことを報告した。

母は翌朝1番に研究室に押しかけ、息子の僕の謹慎を解くことと、大学院終了のお願いと一般企業への推薦をお願いした。

 

 

電話や手紙、はたまた知り合いを使って教授にお願いした。

 

 

僕は大学院を終了できた。

しかし、企業への推薦状はもらえなかった。

 

 

 

そして30年間ひきこもることになる。

何が原因なのか。

僕はこの先どうすれば良いのか。

 

 

30年間でなんどもなんども繰り返し自問自答してきた。

 

 

 

5年前にサポートセンターの支援に繋がった。

繋がったというより、繋げてもらった。

30年間ひきこもっていたにも関わらず、それでも僕のプライドだけは錆び付いていなかった。

 

 

平身低頭。

サポートセンター代表の青木が、僕に頭を下げてこう言った。

「あなたは人を助けることができる人です。どうか信じて僕に付いてきてください。

たくさんの人たちを助けるお手伝いを一緒にしませんか。」

 

 

 

それからの人生、全てが変わっていく。

 

 

毎日、毎日、これでもかというほどの量の仕事を任せられる。

そして僕は失敗を毎日していく。

これでもかというほど失敗をしていく。

 

 

会社なら一発で「明日からもうこなくていいよ。」といわれるだろう。

「今まで何をしてきたの。」とも言われるかな。

 

「お前みたいなのを役立たず。給料泥棒というんだ。」こんなふうに言われた人がサポートセンターで支援を受けていましたね。

 

 

しかしここは会社ではない。

いくら間違えても大丈夫。

僕は間違えたことで、次はうまくできるようになっていった。

 

 

僕たちのような程度の悪いアスペルガーの人たちは、失敗することで学ぶのです。

学んだことは次からうまくやっていけるのです。

そのように僕たちは学ぶのです。

 

 

社会にはもう一箇所、失敗して学ぶことができる場所があります。

失敗が許される場所です。

 

 

それは、小学校、中学校、高校、大学です。

 

明日は学校の先生へのお願いと題してブログを書いてみたいです。

 

 

 

明日もどうぞよろしくお願いします。

 

 

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