発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

6年間無事に支援ができて感謝します。マル

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現在、<大人のひきこもり無料相談会>が開催されているサポートセンターです。

と、同時に支援をしている人たちの親御さんとお会いして状況を報告することもしています。

 

 

 

この3月でフィリピンの大学を卒業した生徒さんがいます。

大学生活を4年間、大学に入るまでに2年間の支援をしてきました。

 

 

 

彼は高校中退後、15年間ひきこもっていました。

ご両親から支援の依頼があって、半年ほど訪問して支援につながった人です。

彼と面談し、将来への希望や可能性を長い時間かけて話してきたのです。

 

 

フィリピンでは、先に学校に入学している仲間にもあって、色々と情報を集めた彼は、フィリピンの大学に行く決心をしたのです。

 

 

 

1年間、日本で最低限の常識などや健康を回復させた後、フィリピンに渡ったのです。

フィリピンでも日常生活の中で、マナーや常識、そして英語を学んできました。

 

 

勉強が苦手だった彼にとって、30歳過ぎてからの勉強は大変だったそうです。

なんとか大学に入学するも日々の授業についていくことに強いストレスを感じていました。

 

 

そんな彼をリラックスをさせるために、映画やサーフイン、ボランティアなど、スタッフと一緒にやったりもしてきました。

 

 

大学生活も2年半が過ぎた頃には、要領を身ににつけたようで、大学生活を楽しむことができるまでになりました。

 

 

 

その後も、大恋愛と大失恋をして、学校に行けなくなったり、

大学教授と衝突して、単位をもらえなくなったりと、いろんな事件を起こした彼でした。

 

 

その都度、私たちサポートセンターのスタッフが、一緒に考えて、どうすれば良かったのかを彼に教えたのです。

 

 

1つ1つの失敗を通して、彼は学んだのです。

社会に出る前は、いくら失敗しても許されるのです。

大学生活が、彼を成長させてくれたのです。

 

 

大学卒業と同時に、社会に戻ることもできると判断した私たちです。

しかし、本人にとっては、さらなる学びをしたいとのことで、社会に出る前にもう1度学校に入ることが決まっています。

 

 

私達サポートセンターの支援はここで終了です。

今までの6年間をご両親と一緒に思い出しながら、今後のことについてご両親にアドバイスを差し上げました。

 

 

 

話し合いが終了した後に、それまで黙っていたお母様が話されたのです。

 

 

「息子は息子の人生を歩めばいいんですよね。他の人たちと比較してはいけないのですよね。親の責任は社会に出るまでですから、もう私たちのやるべきことはないのですよね。」

 

 

フィリピンから帰ってきたあと、息子は笑顔で私たちと接してくれました。

「息子はこんな風に笑うんだ。」って。

 

 

そこまで言うと、涙を流されました。

 

 

 

「本当にありがとうございました。私たちのような家族が日本には100万人いるのですよね。先生方、どうかお体には留意されて、1人でも多くの家族を助けてあげてください。」

 

 

青木も私もただただ、私たちを信じ続けてくれたご両親に感謝をしました。

青木の目には溢れる寸前の涙が溜まっていたことに、私は気づきました。

 

 

 

感謝です。

6年間無事に支援ができたことを感謝します。

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