発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

4年前に出会った50代男さん。まる

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サポートセンターの日本国内で支援を担当している〈まる〉と言います。

 

 

ブログを書き始めました〈50代男さん〉の支援を日本国内で4年間してきました。

 

 

 

青木が手紙を出し続けて、1年目に彼は青木に電話をかけてきました。

「僕はまだ大丈夫ですか?」が第1声。

 

 

 

それだけでは、どこの誰だかわかりません。

でもかけてきた彼は、自分のことをわかってもらっていると信じきっていますから、大変です。

 

 

 

「どちら様でしょうか」と言ったが最後、細い信頼の糸が切れてしまいます。

 

 

一瞬で次の質問を考えた青木には驚きます。

「また伺わさせていただきます。電車で名古屋からご自宅に伺いますと最寄りの駅はどちらになりますか?」

 

 

その答えでだいたい察しがつきます。

「◯◯駅です。」

「◯◯駅から徒歩ですとどのくらいでしょうか。」

 

 

50代男さんということがわかりました。

 

 

その電話を取った青木は、フィリピンにおりましたので、急遽、翌日のチケットを購入して帰国しました。

そして、彼の自宅を訪問したのです。

 

 

会えるチャンスは多くはないのです。

その一瞬を見逃すことなく、確実に掴まないといけません。

それで、今彼は支援に繋がっているのです。

 

 

 

30年間、家族以外誰とも話したことがない50代男さん。

当時の彼の状況は良くありませんでした。

 

 

1、体力がかなり弱っていた。

 

 

ほとんど寝たきりのような生活でしたので、足の筋力が衰えていて、歩くことさえうまくできなくなっていました。

 

 

ですから、最初は家の周りを歩くことから始めました。

 

 

しかも近所の人の目が気になるとのことでしたから、車で自宅まで伺い、少し車を走らせた所にある公園でのリハビリ開始です。

 

 

最初は30分間、スタッフと一緒にゆっくり公園内を歩くことから始めます。

 

 

3日後に高熱が出て1週間中止。

 

 

再び開始。

「こんなことしても、もう手遅れだ。」とブツブツと独り言を言います。

 

 

正直私は腹が立ちました。

「だったら、やめたら!!31年目のひきこもりにチャレンジしたらどうですか?」

 

 

そんな汚い言葉が、一瞬頭をよぎります。

 

 

 

しかし、私もまたこのサポートセンターで10年近く支援を受けて、社会に戻ることができた人間です。

 

 

 

当時のスタッフや青木に散々悪態をついて、支援を中断させて困らせてきました。

 

 

 

そんな私に対して、1度も怒ることもなく、徹底的に寄り添い続けてくれたスタッフたち。

そのおかけで、今の幸せがあるのです。

 

 

 

「謙虚に!!仕えるものにならないと。」と自分に言い聞かせました。

支援している人を通して私も成長していくのです。

 

 

 

50代男さんに関わる時間が増えれば増えるほど、彼の大変さがわかっていった当時の私です。

 

 

事務所に戻り、他のスタッフと会議をします。

その中で次はどうするかを他のスタッフとシェアしながら、意見交換をします。

 

 

初めて会ってから、4年の月日が過ぎています。

彼がフィリピンの地で、一生懸命になっている姿を知り、心から応援している私です。

 

 

3年後、働き、生きる楽しさも知り、結婚を考える相手もいる。

 

 

きっとそうなるでしょう。

そうなった彼を1日も早く見てみたいです。

 

 

 

自分に負けるな、50代男さん!!

 

 

ゴールは3年後、もうすぐです。

 

 

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