発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

家から出ると決めてから出るまでが大変だった。山田

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なぜ家から出られたのか?

 

 

この人たちなら僕の時間を無駄にしないで、最短で自信をつけさせてもらえると思った。

 

 

支援者の多くは元ひきこもりの人たちなので、僕をバカにしたり、強制することはないと思った。

 

 

 

何をするのかを紙に書いて説明してくれた。

僕からの質問も徹底的に付き合ってくれた。

おせじは全くないと感じた。

 

 

 

小、中不登校の状況から、支援を受けて、学校に通い友達もでき、就職もできた人が訪問に代わる代わる来てくれて話してくれた。

代表の青木さんもなんども訪問してくれた。

 

 

 

訪問時間は最初は3分とかだった。

様子をみて自宅に滞在する時間を増やしているのがわかった。

 

 

Ipadを僕に貸し出してくれた。

その中には日本のマンションや海外の環境がビデオで細かく説明されていた。

 

 

こんなふうにして、だんだんとサポートセンターの支援がわかってきた。

それで、不安は少なくなっていった。

 

 

 

そして、支援を受けた自分がこうなれるという将来に対しての目標がなんとなく想像できた。

 

 

それと、小、中とできなかったことはスタッフと一緒にできるまでやることができると言うのが、1番の大きな理由だったといま思います。

 

 

 

出ると決めたら、一刻も早く自宅を出たくて仕方がなかった。

僕の大切な時間がどんどんと過ぎていくので不安になったから。

 

 

自宅を出ると決めてから、2日、3日と過ぎていくと強い焦りから、大きな声を部屋で出したり、壁を叩き始めた。

 

 

「自宅を早く出たい。」と言葉に出して、母親にでも伝えればよかったんだけれど、怖くてできなかった。

 

 

 

長い期間母親とは話していなかったので、どうやって話せばいいのかかがわからなくなっていた。

それで、母親は青木さんに相談したと思う。

 

 

 

「どうして暴れているのか理由が知りたいので、ドアの下から紙を入れるから、そこに理由を書いてね。お母さんだけにみて欲しいなら、母だけ。青木さんだけなら青木さん。と書いてね。」と母親がドア越しに僕に話した。

 

 

 

こんなことを思いつく母ではないから

 

 

 

僕は「今日中に家から出て、サポートセンターの部屋に移動する。」と書いてドアの下から勢いよく紙を滑らせた。

 

 

母親が気づかないかもしれないと不安になったので、力を込めて、「書いた!!」と絶叫した。

 

 

すぐに母親がやってきて、紙を回収した。

そして、すぐに家から出ていった。

 

 

 

青木さんに「今日中に迎えにきてまくれますか?」と携帯で電話をするために、外へでたんだと思った。

 

 

 

僕の家には電話がない。

電話の呼び鈴は怖い。

小学校6年の時、夜、家族が寝し静まった時に、電話線を引っこ抜いた。

 

 

 

それ以来、母親は携帯を使って、自宅の外で電話していた。

 

 

 

ついこの間のできごとなのに、遠い昔の出来事の様な気がする。

もう僕は昔には戻りたくない。

僕はすでに希望を勝ち得た男。

 

 

 

僕の将来はとてもとても明るい。

僕はそう信じている。

 

 

 

でもとても焦るのです。

 

 

 

スタッフに強く言うのです。

 

 

「次は何をすればいいのですか。」

「僕は自分の空白期間をふっとばすんだ。」

「僕は絶対に尊い存在。僕だけしかできないことがある。」

 

 

今も思うのです。

ブログ書くより英語の勉強をした方がいいのではないかって。

そしたら、スタッフが言いました。

 

 

 

「そう思うなら、ブログを止めて英語の勉強したら。」って。

 

 

 

僕は落ち着いて、やっぱりブログを書くことを心にきめるのです。

 

 

僕はやっぱり変な人間です。

 

 

また明日。

 

 

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