発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

2019年、30年間ひきこもった男のたった一つの夢 東大

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今年中に良い出会いを見つけて、来年にはその女性と家庭をきづけたらと願います。

 

 

 

ひきこもっていた30年間。

ひきこもり始めた当初は、まだ彼女が欲しいとか結婚のことを考えることはできていました。

 

 

 

しかし、40後半でそのような希望を諦める決断をしないといけなくなりました。

もう手が届かないような夢を思い描いても、自分が苦しくなるだけですから。

 

 

 

色々な夢を諦めたら気持ちが楽になったかといえば、そうではありませんでした。

「残された選択肢は死ぬしかないない。」と思うようになっていましたから。

 

 

50才の誕生日に「自分の命を消去しよう。」と考えていました。

でも、できなかったです。

それは、母の存在があったからです。

 

 

 

ただ、家でじーっとしている僕に、毎日のようにあたたかな励ましをくれた母です。

50才の誕生日にはいつもの食卓よりも数品豪華な料理が並びました。

 

 

それがあったから命を断つことはできませんでした。

こんなにも僕のことを気遣ってくれている母を悲しませたくなかったからです。

生きている意味のないぼくでも、「生きていてもいいんだよ。」と母がメッセージを送ってくれていたのです。

 

 

 

5年前にもう一度人生をやり直す決断をして、フィリピンに渡ました。

 

 

 

僕がフィリピンに旅立つその前日、母は青木に電話をしました。

なんどもなんども、息子のことをよろしくと青木にお願いしていた母。

 

 

 

「お母さん、お孫さんの顔を見るまで元気でいてくださいよ。」と言った青木に、「そんな夢のような日がきてくれたら嬉しいです。」と青木に返した母。

 

 

 

その2日後に母は天国に召されたのです。

 

 

 

青木が、こんなにも一生懸命に僕の結婚のことを世話してくれているのは、青木が母との約束を果たそうとしているからなのではと思います。

 

 

 

青木は必死になって僕の背中を押そうとしてくれていました。

 

 

「どんなことにでも前向きになりましょう。」と。

しかし、中々決断ができなかった僕です。

 

 

他人様に結婚の世話までしてもらうことに抵抗がありました。

自分では何もできないんですけれど、プライドは最後まで残るんですよ。

 

 

年の瀬に母の夢を見ました。

 

 

「隆(僕の本名)、きっとね、隆のことを好きになってくれる人がいるよ。」

「諦めないで、色々と挑戦してごらんなさいよ。」

 

 

今年はその母の言葉を実現させます。

 

 

何をおいてもやっぱり年の瀬に1人は応えますね。

寂しいですよ。

60、70となっていくとさらにこの寂しさは増していくのでしょうか。

 

 

 

2019年この1年の目標は結婚です。

 

 

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