フィリピンは1月いっぱいはクリスマスと新年のお祝いをしています。
たくさんの人たちから、励ましのメールをいただきました。
ありがとうございました。
本人はそんなに落ち込んではいませんので、ご安心ください。
青木さんが僕に言ってくれた「次、行こ!!次」が効果を発揮しています。
青木さんなら、また素敵な女性を僕のために探してくれるはずだという期待感の方が大きいですね。
自分のことなのに、他人任せにするなんて!!
そんな声が聞こえてきそうですが、情けないとは思っていますが、できないものはできないのですから、ここは「できないことは他人に助けてもらう。」という考えでいいと僕は思うまでになったのです。
山田さんが読んでくれたらいいのだけど。
世の中にはいろいろな人がいます。
その人が僕の人生をなんとかしてくれるなら、辛辣なアドバイスにも耳を傾けてもいいけど、その多くはその場限りの発言なんです。
気にすることはないですよ。山田さん!
さて、今回励ましてくださった方の中に、気になるメールがありました。
その方のことを詳しくはお話はできませんので、設定を変えさせていただきます。
その方のことを簡単に書きますと、僕の状況とよく似ているのです。
僕は支援を5年近く受けて、回復することができましたが、残念ながらその方は30年以上ひきこもった末に、亡くなられたとのことです。
支援してくれるところはないのかと、お母様はいろいろと日本中を探し続けられたそうですが、やはり大人の引きこもりの支援をしているところを見つけられなかったのです。
そうこうするうちに、お子さんが亡くなられてしまったとのことです。
もっと早くこのブログに出会っていればと後悔もされたとのこと。
現在は、僕に息子さんの姿を投影して応援してくださっているのです。
僕の母も、あちらこちらとひきこもった息子を支援してくれる人たちを探していました。
保健所、精神科医、フリースペース。
ある方達が支援を引き受けてくださり、僕を訪問してくれました。
事前に訪問のことをいうと、逃げるのではと思った母は、訪問してくださったまさにその時に、僕に事情を告げたのです。
僕はパニックになり、屋根伝いに逃げて、静かに隠れていました。
その様子から、その方達は支援を諦めてしまったのです。
僕は30年間近く家でひきこもっていました。
年老いた母に代わり、親戚の人たちも全国の施設を調べたりしてくれましたが、多くは障害者の人たちの支援をする場所で、僕の支援はどこも引き受けてはくれなかったのです。
話は変わりますが、僕のおじはうつ気味で、本人は困っていました。
そのことを知った上司がうつ治療の特集をしていたテレビ番組を録画したものを、おじに渡してくれたのです。
その番組が終わった後も引き続きDVDに録画がされてありました。
そのあと番組が、ひきこもり支援をしている青木さんが特集された番組だったのです。
20年、30年とひきこもった人でも、40代でも回復に至る場合もあると、はっきりと話している青木さんの姿。
そして、一生懸命訪問を繰り返している様子を見たおじは、自分の鬱のことより、「ついに見つけた!!」と番組で紹介された団体名で検索して、30分後には青木さんに電話をいれてくれました。
それが、今から6年前です。
僕は運が良かったのでしょうか。
おじが鬱でなければ、そして上司がそのことを知らなければ。
僕は無くなった母の後を追っていたと思います。
運がいいとか、悪いとか・・・そんなことは僕にはわかりません。
ただ、いただいたメールで教えられたことは、もっと自分のことを情報発信する必要があると思ったことなのです。
こんな大変な状況でも、諦めずに的確な支援を受ければ、回復して社会に戻ることができるのです。
その事実を探している人たちがいるのです。
頑張ります。
やはり、ヒロさんご紹介のあれを出します。
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