発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

僕はみんなと同じことができないので死ぬしかない。山田

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僕の名前は山田(仮名です。)

30代です。

男です。

 

 

家族は母親と父親です。

あと犬を一匹飼っています。

今はフィリピンで英語の勉強をしています。

 

 

僕は昨日、Joeさんのブログを読んで僕の気持ちを出したいと思ったので、青木さんに連絡して、載せて欲しいと言いました。

 

 

青木さんは「いいよ。」と言いました。

 

 

僕は中学校の時に「アスペルガー」と診断されました。

 

 

 僕の何が問題なのかと言いますと、「何もできない」ことです。

本当に何もできないのです。

自分が情けなくて、死んでしまいたいとなんども思いました。

 

 

小学校の時から、みんなと同じことができなくて辛かった。

授業中に「周りの人、三、四人でグループをつくつて、話し合いなさい。」と先生が言っても、僕はどうすれば良いのかがわからない。

 

 

周りの人って、どこからどこまでが周りなのかと考えていると、僕は独りになっていることがよくありました。

クラスの同級生に「どうしたらグループになれるのか」なんてはずかしくて、聞けなかった。

 

 

運動会で集団行動の練習があって、その中に行進があるんだけれど、行進ができないんです。

手の上げかたがおかしいと言われました。

 

 

手の運びが不自然。

「周りのみんなをよく見てみろ。お前だけがおかしいぞ。」

たくさんの生徒がいるのに、マイクで怒鳴るように注意をされて、とても恥ずかしかった。

 

工作の時間。

先生がその日の課題について説明しても、何もわからなかった。

 

 

「何かしていますよ。」と見られるために、「振り」をしていたけれど、課題はその時間内には出せたことは一度もなかった。

 

 

だから通知表は確か、1か2だった。

 

 

作文もどう書いていいのか、わからない。

夏休みの自由課題も何をして良いのかわからない。

 

 

だから学校は恐かったので、行けなくなってしまった。

Joeさんと同じです。

 

 

僕もみんなと楽しくやりたかった。

給食はとても楽しみにしていた。

でも、学校に行けなくなってから、ずーっと家にいました。

 

 

友達は1人もいませんでした。

みんな僕を嫌っていることはわかっていました。

 

 

外に出るとクラスの誰かと会うのじゃないかと心配で、みんなが高校を出るまでは外にでないようにと決めていました。

 

 

でも16歳で父親の転勤で愛知県に引越しをしました。

そこでもひきこもっていました。

 

 

どう文章を書いていいのかわからない。

でも、書きたいと思ったことがあったから、書きました。

僕はバカな失敗をしてしまいました。

 

 

それで、もうやっぱりダメだから、本当に死んでしまいたいと思いました。

 

 

青木さんに、電話をして「いますぐに話を聞いてください。」とお願いしました。

「そうしないと死んでしまうかもしれない。」とおもったからです。

 

 

「わかりました。今から行くので、6時間近くかかるけれど、待てますか」と言ってくれたので、「待てます。」と答えました。

 

 

サポートセンターのスタッフに手伝ってもらって、文章を書きました。

「落ち着きなさい。」

「あなたに1番大切なことは落ち着くことですよ。」

 

 

スタッフから何百回も言われています。

 

ありがとう。

 

 

1000字程度で収めなさいと言われたので、何を失敗したのかは明日書きます。

 

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