発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

30歳程度の悪いアスペな僕が感じている危機感を皆様と共有したいのです。ヒロ

 

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 パチンコ台解体の仕事。2005年当時時給千円は破格。サポートセンターにて

 

 

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みなさん、まずはこの記事を読んでください。

                   (厚生労働省の文章から引用しています。)

 

はじめにお断りしておきますが、僕たちの団体は「サポートステーション」にお世話になっています。

ですから否定しているわけではありません。

 

成果が出ているから存在するのです。

何をおいても、「無料」で利用できることと、情報が色々と得られるという意味でも、僕たちの団体も相談を受けた方にご紹介しています。

 

 

またサポートステーションから僕たちの団体に、「ご紹介しても良いですか?」と相談をいただくこともあります。

そして現実に繋がって、支援を受けている人や、回復した人たちもいるのです。

 

 

だから、「サポートステーション」には感謝しているのです。

 

ここで紹介されているスギさんのことを文章から引用します。

 

スギさん(27)=仮名=が、いたばし若者サポートステーション(東京都板橋区)を訪ねたのは2年半前の16年4月だった。

 

 

高校卒業後は家業の手伝いをする程度で、職に就かずに20代半ばまで「実家でだらだらと過ごしてきた」

 

 

国が無償で求職者に職業を紹介するハローワークにたどり着く。「サポステ」の存在は、ハローワークの職員に教えられて初めて知った。職員はスギさんにまずはサポステに行くことを勧め、行く手はずを全て整えてくれた、という。

 

この下りはMr.Joeが、先日書いていたのと同じですね。

すでに40歳になろうとしていたMr.Joeには、「サポートステーション」を紹介してはいただけませんでした。

 

 

同じくハローワークでは、「スギ」さんには「サポートステーション」を紹介することが最善だとおもわれたのです。

 

 

ハローワーク」は、ダメだと言っているわけではありません。

僕たちのような状況の人たちには、なすすべがないということなのでしょうか。

 

 

スギさんが現在の職場である都内の飲食店で働くようになったのは17年10月。サポステを訪れてから約1年半が経過していた。その間、サポステでは、第一歩を踏み出すために個別のカウンセリングやいろいろな無料セミナー・講座を受けた。

 

 

僕ならまずは「スギさん仕事が決まって良かったね。続けられたらそのことがまた自信になるよ。」と言いたいです。

 

飲食店では、調理の仕事をしているスギさん。そしていま、さらなる一歩を考えている。不安定なバイトから、安心して働ける雇用形態の職業を目指している。

 

「うん?飲食店で調理の仕事?」

「あああ、アルバイトなのか。」

 

「そしていま、さらなる一歩を考えている。不安定なバイトから、安心して働ける雇用形態の職業を目指している。」

 

「おおおおおおお、やっぱりサポステ。わかっていらっしゃるのですね!!!!!」

 

で、ここがこの記事で1番大切なところです。

「不安定なバイトから、安心して働ける雇用形態の職業を目指している。」

激しく同意です。

 

 

「そうだ!!スギさんも気づいたんですね。まだまだ遅くないですよ!!」と、俺は「スギ」さんの手をにぎって励ますんだ。

で、スギさんはそれからどうしたのか?

 

えっ!!あれ、おしまいですか !!

 

納得がいかない俺は、勝手にスギさんのその後をハッピーエンド風に想像して書いてみました。

それはまた明日です。

 

みなさん、これは本当に大切なことなんです。

そのことに気づいていないご両親が多すぎなのです。

どうか、今、この日本を取り巻く現実を考えてみてください。

 

どうかよろしくお願いします。

 

 

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