この写真は第2倉庫です。大型倉庫はこの3倍はありました。2008年当時。
青木さんから、このような記事は読者の人には、必要ないので、話題を変えた方が良いと言われました。
僕は、歴史を語ることも大切なのではないかと思いましたが、スタッフさんたちもそう言っていますので、簡単に書いて就労支援施設の話は終了にします。
大型就労支援施設の閉鎖の理由は、当時のスタッフが業者と交わした契約書に問題があり、違約金を支払うはめになったからです。
1人のスタッフさんが、独断で契約書にサインをしてしまったのです。
サポートセンターにとって利益がある仕事がもらえると、勝手に判断されたうえで契約されたのです。
しかし、その結果、大きな損失をまねいてしまったのです。
青木さんが言うには、「そのことがきっかけで、支援している人の様子を見ながら、仕事を徐々に減らして閉鎖した。」とのことです。
このプログラムの成果。
1、支援の中身がよく見える支援だったし、お子さんのお母さんが直接運営に参加していたので、とても満足されていた。
2、企業に頭を下げにお願いに行ったことで、協力しようと申し出てくれた会社が想像以上に多かったことに気づいた。
3、大きな倉庫にタイムカード、制服、小さな社員食堂も兼ね備えていたので、利用者のモチベーションはとても高かった。
問題点。
軌道に乗ったら、噂になって、利用者が多くなると想像していたが、想像以上に多くの人たちから、支援の依頼先をサポートセンターに変えたいとの依頼があり、他団体と少し問題になった。
もちろん、他団体からの移動も全てお断りしつつづけた。
その後、青木さんは。
1、状態が重い人だけを支援することにしました。
軽い人たちの支援を中止したのです。
それと、障害者枠での就労ではなく、あくまでも一般就労を目的とする支援にかじを切りました。
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