発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

中学の講演会、嫌な気持ちがなくなっていた。ヒロ

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校長先生、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

 

 

12月7日に中学校で講演会をしました。

 

 生徒さんたちの反響はとても良かったです。

生徒さんたちを見渡していても、うなずいたりしている生徒も多かったし、下を向いている生徒はほとんどいませんでした。

 

 

今まで以上に生徒たちに僕のメッセージが届いていると思いました。

 

 

今回の中学校は、昨年、講演会に呼んでくださった中学の校長先生が、転勤で赴任された中学校です。

 

昨年度、その校長先生はとても僕を褒めてくれました。

「素晴らしかったね。これは色々な中学に宣伝しないとね。」との言葉通り、それ以降、中学での講演会が決まりました。

 

その時の僕の反応があまり良くなかったのでしょう。

「お世辞ではなく、本当ですよ。僕は国語の先生をやっていましたから、文章に関してはきびしいのです。」と重ねて僕を褒めてくれました。

 

 

褒められたことがほとんどない僕は、それでも人を疑ってしまいます。

後で、サポートセンターのスタッフから、「校長先生が話してくれたことは、本当ですよ。」と言ってくれましたが。

 

 さて7日の講演会が終わった後、たくさんの先生から賛辞をいただきました。

その中で、「外国に行った選択は良かったと思います。生徒達にも、もっと外に目を向けて欲しいですね。」と外大卒の先生に言われたのがいちばん嬉しかったですね。

 

さて、校長室で再び、校長先生から褒められました。

 

「昨年度より、より文章が洗練されているし、話し方、特に間の取り方、強弱ともよく考えて話されていました。だから、生徒は、ヒロさんの言ったことを、考える間があったし、よく聞いていたんですよね。」

 

 

「あかん。あかんて。 校長先生、そんなに褒めないでください。号泣してしまいそうです。(ヒロ心の声)」

 

 

中学校で初めてお話をさせてもらったのは、今から、5年前でしょうか。

その時には、中学で俺をいじめた奴らへの憎しみの気持ちが強く残っていました。

 

 

それで中学の敷居をまたぐ時に、体が震えあがりました。

心臓を強く掴まれたような気にもなりました。

怖くなりました。

 

話終わった後に、通された部屋は校長室。

母親が怒鳴り込んで、校長室で、校長先生と母親と担任と僕で話し合った時の記憶が蘇り、今、あいつら(中学で俺をいじめていた連中)が廊下で聞き耳を立てて、話し終えて出てきた俺を殴る機会を探っている。

 

 そんな妄想に駆られて、呼吸ができなくなったことがありました。

 

 しかし、2018年12月7日金曜日

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             父ちゃん!!バカ息子が人様のお役に立っていますよ!! 

 

僕が確実に変わっていることを自己認識しました。

もう中学校に対しての特別な思いはなくなっています。

余裕で話すことができました。

 

それどころか、話をしながらも、(今度はこんな風に話したいな)や文章をこう書き換えたいなどと次からつぎへとアイデアが浮かんできました。

 

 

僕は講演会を楽しめたのです。

 

 

そして、自分の中で、「不登校」「勉強が全くわからない。」「みんなとうまくやっていけなかった。」という思いを、なんか、距離を持って眺めることができるまでになりました。

 

 

これが成長なのでしょうか。

これが回復なのでしょうか。

 

 

「ありがとうございました。」という言葉しか思い浮かびません。

 

このような体験を今度は「東大さん」や「Mr.Joe」など、後から続く仲間に引き継いで欲しいと思っています。

 

 

以上講演会の報告でした。

 

 

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