発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

20年間ひきこもっていた僕が回復に至ったわけ Mr.Joe

f:id:smilehousejapan:20181207164516j:plain

         台湾人シェフに手ほどきしてもらっています。
 

 

2年間の支援を受けて、一番良かったことは、自分のことがよくわかったことです。

自分の苦手なところと得意なところ。

 

 

苦手なところは、「こうするとうまくいくよ。」と毎日、スタッフから具体的に指導を受けていました。

毎日、朝から就寝前までスタッフが寄り添って、僕専属の個人トレーナーになってくれたのです。

 

 

僕は、(ここまで僕のことを理解してくれている人たちなので、とにかくスタッフのアドバイスに耳を傾けていれば、うまくいくはずだ。)と信じ込んでいました。

 

 

どうして、そんなに簡単に人を信じられるのか?と疑問を持っている人もいると思います。

 

 

僕は20年間、独りでいました。

それは、人が怖くて仕方がなかったからです。

僕はそれほど、人を信じることが、できませんでした。

 

 

でも、自分をゆだねるくらい、スタッフを信じたんです。

信じられる理由がありました。

 

 

最初の1ヶ月間、僕はスタッフの人たちと朝から晩まで一緒でした。

僕に寄り添っていてくれたのです。

義務的な態度や発言では、ありませんでした。

 

 

スタッフも僕と一緒にいる時間を楽しんでいました。

僕のために、朝から晩までいてくれると思うと、とても窮屈に思います。

そんな気持ちにさせなかったスタッフ達です。

 

自然な感じで、僕と一緒にいてくれたのです。

もちろん、僕は失敗します。

失敗したら、丁寧に優しく説明して、僕の納得がいくまで時間を費やしてくれます。

 

 

そこまでしてくれたら、20年間、誰も信じられなくて、頑なに心を閉じていた僕でさえ、心をひらけます。

僕の場合は、1年間続けて、訪問してくれて、そして、1ヶ月間も一緒にいてくれたのです。

 

 

50代男さんは、30年間ひきこもっていました。

家族以外の誰とも会わずに30年間です。

50代男さんをご自宅に訪問して会えるまでに、1年かかりました。

 

 

会ってから、支援に繋がるまで6ヶ月ほど。

支援に繋がって、心を開いてくれるまでに、3年間が必要でした。

 

 

人それぞれです。

 

 

青木さんによれば、「心を開いてくれれば、ゴールは見えてくる。」と言っています。

 

 

僕は比較的早く、支援が終了しました。

20年間ひきこもっていた人が、2年で社会に戻れるというのはあまりないとのことです。

 

 

ただ、僕の場合はこの2つが、良かったのだと思います。

 

 

1、日本での就労ではなく海外での就労です。

 

日本に帰って就労しなさいと言われても、無理だと思います。

僕の意志より、20年間もひきこもった人を雇ってくれる会社自体ないです。

誰も、20年間ひきこもった人をあえて雇おうとは思わないです。

 

 

2、僕の得意なことで仕事についた。

 

 

僕は自然がとても好きです。

青木さんが「ちょっとやそっとの<好き>というレベルではないな。」と気づいてくれたことが、全てです。

 

それからのプログラムは、全部が僕に合っていたと思います。

 

 

 こうして、僕は今、仕事につくことを心から待ち望むことができるまでに回復したのです。

 

 

 明日は、僕が来年の4月から働く職場を紹介します。 

 

 

 

下記バーナーのクリックを2つ押してください。

ご協力をお願いします
日本ブログ村に参加しています。

 

 

 

にほんブログ村 子育てブログ 発達障がい児育児へ
にほんブログ村  こちらもクリックをお願いします。

 

にほんブログ村メンタルヘルスブログ発達障害へ ←  いつもご協力をありがとうこざいます。

    1位でいると新しい人たちが訪問してくれます。

          クリックをお願いします。