さあ、明日に向かって飛び立つよ!
僕が中学2年の時だっだろうか。
母親が学校に殴り込みをかけた。
僕がいじめられていることを知った母親は、とても怒っていた。
小学校でもいじめられ、そして、中学校でも相変わらずいじめられていることに、心を痛めた母。
その怒りが頂点に達したのは、同級生が金を無心したことが発覚したことだ。
それだけではない。
小学校から今まで、勉強が全くわからないで悩んでいる息子の姿を見て、なんとかしなければと考えていた。
3者面談はいつも重い雰囲気が漂っていた。
そこは希望という言葉が、1番似つかわしくない場所だった。
毎度、毎度の言葉。
「クラスのみんなと、もっと仲良くできるように頑張ろう。」
当時は聞き流していた。
どう考えても、その言葉に納得がいかなかったから。
今、考えると・・・・・・。
先生を随分苦しめてしまったな。
申し訳ないことを当時はしていたな。
と変わる。
しかし、母親の中にある混乱と怒りのマグマは、日々増して、とうとうマグマがその力を解き放ったんだ。
母親は学校に怒鳴り込んだ。
「どうして、勉強がこんなにもわからないのに、何も対処しないんだ。ずーっといじめられているのに、学校側が何もしないのはおかしいだろう。」
やっちまった。
そのことがきっかけで、翌日から僕は学校に行かないことを決断した。
正しい言い方は、学校に行けないことを自分自身
で確認したんだ。
当時は、とても母親を憎んでいた。
僕のことより親戚の手前とか、世間体を気にしていたから。
今になって、母親のそういう弱さも受け止めることはできるようになったが。
僕からの皆さんへのアドバイスです。
敵を作っちゃいけないんだな。
このできごとは、繰り返しぼくの脳裏を駆け巡ってきた。
なんどもなんども、ぼくは青木さんに聞いた。
青木さんがその当時、ぼくの担任だったら、どうしていましたか。
答えはいつも同じだ。
「違う仕事を探すだろうな。」
「中学校の教師が、この世でもっとも大変な仕事の1つだろう。」
ちょっと横道にそれてしまった。
程度のとても悪いアスペルガーな僕。
中学2年になっても、2桁の足し算引き算ができなかったり、変な日本語を話していた僕。
友達との会話もチンプンカンプントンチンチン。
強い存在を示す鼻毛。
風呂に入らないから、若者特有の鼻を刺すような臭い。
おかしな動作。
まっすぐ歩けない僕。
そんな僕に中学校は何ができるんですか !?
あの青木さんをしても「僕には何もできないな。」と言わしめた存在です。
中学校の先生方も、一生懸命、僕の世話をしてくれていました。
それでも、そんなことがなんの意味をも持たないほど、当時の俺はおかしくなっていたんだ。
中学校に期待した母親が間違っていた。
僕たちのような存在は特別なんだ。
だから、今ならその当時の母親にこういうだろう。
「お母さん、僕には個別支援しか通用しないのです。どうか、中学校を責めることはしないでください。」って。
あの当時、ぼくの母親がしなければならないことは、中学校に怒りをぶちまけることではなく、ぼくにあった支援環境を作り出すことだった。
それは、自分が子どもの支援者になるのか。
または、誰かを探してくることか。
なにもわからなかった愚かな僕と、僕のことで振り回されていた母。
できることなら、あの時に戻って、丁寧に優しく説得したいと思う。
「かあさん、大丈夫。何も心配しないで。笑っていてください。」って。
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