発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

僕もまた両親を恨んだりはしない。その1 Mr.Joe

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すみません、ネットをしていません。中華料理店 での研修

 

 

東大さんの記事を読んで感動しました。

そんなことまで考えていたのかと思いました。

 

smilehousejapan.hatenablog.com

 

また読んで泣きそうにもなりました。

 

 

smilehousejapan.hatenablog.com

 

 

今日は東大さんのブログを読んでの感想と自分のことをお話しします。

どうか読んでください。

 

 

僕は発達障害とは診断されてはいません。

年齢は42歳です。

中学の時にみんなとうまくやっていけなくなって、学校が怖くなって行けなくなりました。

 

 

今はその当時の僕の何が問題だったのかはわかります。

みんなの話題について行けなかったのです。

 

 

クラスの同級生の会話のスピードが早すぎて、自分の頭の中で会話の中身を理解するまでに時間がかかり、理解できた時には、同級生たちの話題は変わっていて、とても辛かったです。

 

 

その時は、何がなんかだかわからなくて、ただみんなと一緒にいるのがとても苦痛になっていきました。

小学校の時から、それは感じていましたが、今思えば、小学校の時はなんかごまかすことができていたのだと思います。

 

 

 

同級生たちの自我が発達する中学生くらいになりますと、「僕の存在がおかしい」とみんなから思われるようになったのでしょうね。

 

 

みんなから煙たがられるようになりました。

それはとても傷つきました。

そしてとても悲しかったです。

 

 

僕はみんなと一緒にいたかったです。

でも、毎日ではなくて週3日くらいが限界でした。

それ以上はみんなと居ると楽しいというより、苦痛に思えました。

 

 

それで、もともと自然が大好きで、クラスのざわついた雰囲気もとても苦手だったので、学校に行けなくなった機会に、行かないでいいやと決断しました。

 

 

学校に行かずに、何をしていたかというと、自転車に乗って、お花畑や田んぼのあぜ道を観察して見つけた花や昆虫の名前を図鑑で調べたりしていました。

 

 

とても楽しかった時間です。

 

 

でも、学校のことは忘れることができませんでした。

みんなが高校に行くのに自分は行かないで大丈夫なわけがない。

 

 

高校を出たら就職をするのだけれど、僕は年上の人から色々と指示されるのが怖かったので、就職はしたくなかったです。

 

 

で気づけばもうすぐ40代になっていました。

 

 

20年近く自宅の部屋に閉じこもって居ました。

髪の毛を15年近く切らないとどこまで伸びると思いますか、僕の髪の毛は膝まで伸びていました。

 

 

怖くて散髪には行けませんでした。

行くと、「何やっている人ですか」とか「出身高校はどこですか。」

「あなたの年齢なら、◯◯さん知っている?」と徹底的に質問ぜめにされるので怖かったからです。

 

 

そんな僕でした。

このまま死ぬ時を待つしかないのかと日々考えていました。

 

 

明日また書きます。

よろしくお願いします。

 

 

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