発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

発達障害な僕が東大で失敗したこと。東大

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「東大での学生生活はとても快適だった。」と昨日書きました。

 

それは僕が通っていた私立の進学校と同じ雰囲気だったからです。

私立高校では勉強さえしていればよかったのです。

それで同級生達からその存在を認められていましたから。

 

 

東大も同じです。

勉強さえしていれば良かったのです。

 

 

私立高校でも東大でも、在籍する生徒はみんな自分を中心として、半径2メートルくらいのセイフティゾーンを持っていた感じがします。

 

 

誰もそのゾーンを超えて入ってくることはないという安心感が僕には常にありました。

 

 

 

しかし、その安心感は自分が抱えている問題を直視することを避けることにつながってしまいます。

 

 

そして大学院での研究チームで僕は自分が抱えている問題に直面してしまいます。

 

その問題とは「他人とコミュニュケーションが取れない。」ということです。

 

 

チームでは1つのテーマをみんなで分担して研究していました。

僕には決められた期日までに研究結果のデーターを出すことが義務付けられていました。

 

しかし、チーム全体のスピードがとても早くて、僕はついていくことが困難になってしまいます。

 

 

その結果、チーム全体に迷惑をかけてしまうことになりました。

 

 

徹底的に謝罪すればよかったのです。

しかし、僕にはそれができなかったのです。

信じられないかもしれませんが、僕は謝罪の仕方を知りませんでした。

 

 

僕が他のメンバーと教授を前にして話したことは「ご迷惑をかけてすみませんでした。」のひとことだったのです。

 

 

今考えたら、もっと言葉を出して深く謝罪をし、「自分は今のこのポジションではまたみなさんに迷惑をかけてしまいますので、他のポジションに変えてもらえないでしょうか」とお願いすべきだったのです。

 

 

たった一言の謝罪を受け入れてくれたチームで、再び研究が開始されました。

しかし、またもや僕のデーターだけが提出されませんでした。

いいえ、データーを取り揃えることはできていました。

 

 

それを発表するところまで完成できなかったのです。

 

 

何か指摘されたらどうしよう。

きっと否定されるに違いない。

いろんな不安が頭をよぎりました。

 

 

結局2度目は担当教授から強い叱責を受けることになってしまいます。

それから僕は研究室に通うことができなくなってしまいました。

最後に担当教授から言われた言葉をいまでもはっきりと覚えています。

 

「君を企業に推薦することはできない。」

東大の場合はその教授の推薦で、ほぼ入社が決まります。

僕も大手企業の研究室に入社を考えていました。

 

 

しかし、その夢は教授の一言でなくなってしまいました。

つまり僕が今まで頑張ってきた成果が全て消えてしまったのです。

 

 

僕は頭の中が混乱してしまい様子がおかしくなってしまいました。

慌てた母親が担当教授に掛け合い、僕の大学院は終了と認定されましたが、やはり推薦は得られませんでした。

 

 

僕の様子はますますおかしくなり、母親に連れていってもらった病院で僕は色々と検査を受けて「発達障害」と診断されました。

 

 

担当医は「しばらくは静かにして、休みなさい。その後アルバイトなどでもやって経験を積みなさい。」とだけ言ってくれました。

 

 

その日から僕の30年間のひきこもりが始まったのです。

30年間僕は静かに休んでしまいました。

 

 

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